食事量

皆さんの事業所では、食事量をどのように記録しているだろうか。

うちの施設では、介護記録は入居者さんごとに1日1ページの用紙を使っており、食事量もそこに書かれる。基本的に、主食・副食それぞれに「全・2/3・1/2・1/3」の中から選んで○をするという形をとっている方が多いのだが、実のところ、主食と副食に分かれていない方がいたりと統一はされていない。

なぜそうなのかと問われると、私が入ったときから既にそういうスタイルだったから、としか言いようがない。個人的には、主食と副食を分ける意味はあまりない(カレーライスや麺類の時などはどうすればいいのだ)と思っているので、私が記録用紙を作る人は主食と副食とを分けないことが多い。

先日施設の全体会議で、ある職員が食事量の記録はもっと簡素化してもいいのではと提案してきた。うちの施設は、単に量を記録するだけでなく、何を残したかなども細かく書くことが多いのである。

そうすることで、その方がどういうものを好み、どういうものを残すのか、その傾向がつかめれば、例えば食事量が低下してきた時に、少しでも食べてもらえるような工夫がしやすくなる。私はそう思って特に変更はせずにきたのだが、実際には、その情報が生かされることは少ないように思う。せっかくの情報も受け取る者がいないのでは意味がない。だから私も特に反対はせず、「皆さんがいいような形にしましょう」とだけ言った。
結局、現在では食事量の情報を欲しているのは看護師だけであり、看護師が求めるものは嗜好ではなく量なのである。であれば、看護師が把握しやすいようにするのが現在のところはベストなのではと思った。

そんなわけで、記録用紙を修正しようかなと思っていたりするのだった。

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業務日誌

皆さんは業務日誌ないしは日報をきちんとつけているだろうか。

記録というものは、介護記録にしろ支援経過にしろ、対象となる利用者さんにとっての情報というだけでなく、自分(もしくは自分たち。以下同じ)が仕事をした証でもある。だがそれらは各利用者さんごとの個人ファイルに散逸するので、特定の日に自分が何をしていたのかを後から辿るためには、あまり役に立たない。
そこで毎日、自分が何をしていたのかをまとめた日報を作っておけば、「○月○日、自分はこんなことをしていた」「自分は一日にこれだけの仕事をしている」ということの証となる。

介護保険法、そしてそれに基づく実地指導等は、このような形での記録を求めてはいない。だから作る意味などないと言ってしまえばそれまでだが……私は、介護の職場に限らず、全ての職業人は、個人単位ないし部署単位で業務日誌を作るべきだと思っている。
その一番の理由は、仕事を一日単位で区切ってしまわないようにすることだ。どんな仕事であっても、「さて、今日も一日の仕事が終わった。今日のことはきれいさっぱり忘れて、また明日頑張ろう」ということなどない。
目標は現在どのくらい達成されているのか、これから行う仕事の優先順位は、また他のスタッフへの連絡事項は……といったように、その職場で日誌として記しておくべきものがあるはずだ。

介護の仕事であっても、基本的な利用者さんへの支援は一日単位ではあるが、何日、何週間、何カ月といったように、長いスパンで考えるべきものもある。「今日はこうだった。明日はこうしてみよう……」ということが、シフト制によって、別のスタッフに替わってしまうために引き継がれないのではよろしくない。
そこで連絡ノートのようなものがあるわけだが、連絡ノートはある時点での伝達に過ぎない。時系列で把握できる術が必要なのである。個人単位の支援であれば個人の記録でこと足りよう。しかし、例えばユニットやフロア単位、施設単位の支援であったら?
また、そうした日々の現場の努力を、管理者はいかにして把握するのか? 代表者による口頭での報告のみか?

ということで、介護における業務日誌の形というものを考えている。

きっかけは、1つ目は、うちの会社の本部が、各々の事業所の職員の出勤状況や、サービスの提供状況、出費などを正確に把握できておらず、経営に支障が生じているらしいこと。

もう1つは、一人の職員が「うちの業務日誌は無駄だ」と言ったらしいことだ。
うちの業務日誌が無駄だというのは、私も入職して間もない頃に思った。出勤してきている職員と、在所入居者数を毎日書いているだけだから。しかしその日誌の目的を聞いて、そういうことだったのかと納得したものだ。
つまり、うちの業務日誌は業務日誌ではない。単に、万が一災害が起きて避難などの必要が生じた時に、施設に誰がいるのかを正確に知るためだけのものなのである。
それはそれで意味のあることだが、「業務日誌」と呼ぶのはやはり混乱のもとであろう。

私もこれまでの職場では必ず日誌を書いていたものだが、今の職場へ移ってきてからそれがなくなった。
老健の支援相談員時代、相談員日誌は実地指導や書面指導でしっかりとチェックされた。その理由は、別に相談員の業務が監視されていたわけではなく、利用者数や入退所などの記録がそこにしかなかったからだったと記憶している。しかしその頃の仕事は、その数字が全てだったと言っても良い。請求ソフトにも日報の機能ぐらいあって当然だと思うが、用意された書式だとほとんどが要らない情報なので、紙がもったいないということになったのではなかったかな?
ちなみにその書式は、Accessでデータベースとして自作した。受けた相談の記録などもそのまま転記できるようにして、かなり労力を省いた記憶がある。

久しぶりにデータベースで、業務日誌の書式を作ってみようかな。

良眠

もう慣れてしまったので私も普通に使っているが、この仕事を始めたばかりの頃は、「良眠」という言葉に釈然としないものを感じていた。

この業界では、夜間の記録としてこの「良眠」という言葉がよく用いられる。
もともとの意味は、むろん「良く眠る」ということなのだろう。手元の広辞苑(第五版)には載っていないので、医療用語なのかもしれない。
しかし実際には、介護・看護職員に睡眠の質を評価することなどできるはずもないので、事実上は「ベッド上で動かれることなく目を閉じていた」といった程度の意味しかないのである。

もちろん、すやすやと寝息を立てて、あるいはいびきをかいていて、良く眠っていることを疑う理由はない場合もある。しかし良い睡眠とは、質だけでなく時間の問題もあるはずである。
脳波計でも使用しているのならともかく、そうでないのなら、「良眠」というのは他人が評価できる内容ではないと思うわけだ。

もちろん、新人がこんなことを言い出して「良眠」という言葉を記録から減らしたところで、鬱陶しいと思われるだけである。だから周りに合わせたし、そのうちに自分も慣れてしまった。

このブログではどのくらい「良眠」という言葉を使っているかな、と思って検索してみたところ、結果は1件。「介護版 悪魔の辞典」のみであった。
さすが私だ……(^-^;

念のため。
私は「良眠」と記録に書くのは不正確なので即座に止めるべき、と言いたいわけではない。

バイタルサイン

皆さんの事業所では、「バイタルサイン」という言葉は、具体的には何を指しているだろうか?

私の介護業界でのキャリアが老健から始まっていることはこのブログで何回か書いているが、そこでは「バイタル取って」と言う時は、それは血圧、脈拍、体温の3つを指していた。例えば、毎日全利用者に対し必ず測定して記録を取っているのも、体調が悪化した時や転倒などの事故後に決まって測定するのも、この3つであった。
これは、転職後の施設でも同じだったので、業界の慣例のようなものかな、と漠然と考えていた。

と言うのも、一般にはバイタルサインというと、血圧、脈拍、呼吸数、体温を指すからだ。さらに意識レベルを加えることもあるようだが、一般には4つと言っていいだろう。
介護施設ではなぜ呼吸数はあまり測定されないのだろうか。

どうして今日はこんなことを書いているのかというと、うちの施設でナースから主に夜勤者に対しバイタルサイン測定のオーダーが出ている時に、私は血圧、脈拍、体温しか測っていないのだが、多くの職員はそれらに加えてSPOつまりパルスオキシメータで測定した動脈血酸素飽和度も測定しているようだからだ。

SPOってバイタルサインに含まれるの?

バイタルサインとはもともと、「生命の兆候」を意味している。生きているというのは、心臓が動き、呼吸をしており、脳が機能している状態である。
その意味で、血圧や脈拍、呼吸は死ねば測定不能もしくは0になるのだから、生きているかどうかを判断する手がかりになるといえる。
しかし体温はどうだろうか。死んだからと言ってすぐに周囲の気温と同程度の数値まで下がるわけではない。もちろん生命を維持するためには一定の温度を保つことが必要であるが、ある一瞬の値を以ってして生命活動が維持されているかを判断することは必ずしもできない。
また脳が機能しているかどうかは、これらの数値では推し量れない。そのために瞳孔の反応を見ることがあるが、これを日常的に行う必要があるのかというともちろんないだろう。

そしてSPO2。これは測定に脈拍を利用しているので、心停止後は測定できない。ただ、パルスオキシメータ上にはそれなりの数値が表示されることがあるのは経験している。いずれにしろこの値を以って生死の判断の手がかりとするというようなものではない。

「バイタルサイン」すなわち「生命の兆候」とは、ある一瞬において生命活動が行われていることの証なのか、それともある程度持続した時間に生命活動がどのように維持されているかの証なのか、私にはその定義が曖昧に思えるのである。

私は、SPO2は心不全や呼吸不全があり注意が必要な方や、喘鳴がある時などしか測っていなかった。確かに、熱がある方などに対し測定して、値が低いようであれば肺炎を疑うきっかけにもなったりするので、測っておくに越したことはないと言えばその通りである。

一度看護師に確認しておこうと思ったので、忘れないためにもここに書いておく。

ところで、このエントリはどこのカテゴリに入れるか迷った。私は医療職ではないので、医療に関するカテゴリは主に医療制度のことを書く「医療」と、各疾患について書く「疾患」しかない。
「雑談」にしようかとも思ったが、結局「記録」とした。どっちにしてもカテゴリなど大した意味はないのだろうが、私の性格上、秩序は重要なのである。

声かけ

「声かけ」について。
これは私が使わないようにしている言葉の一つである。嫌い、というほどではないのだが。

「声かけ」「声がけ」共に広辞苑第五版には載っていない。
が、ググってみるとgoo辞書にはあった。以下の通り。

1 声を掛けること。挨拶をしたり安否を問うたりすること。「―運動」→呼び掛け
2 会合などに誘ったり、役職への就任などを打診したりすること。「社長の―でOBが復職した」

なるほど、互助や防犯のため、ご近所さんや子供に言葉をかけることを「声かけ」として、「声かけ運動」などを展開している町内会などが少なくないようだ。日本語にはなかった言葉ではあるものの、そうやって普及してきているのかもしれない。
2については、本来「呼びかけ」「働きかけ」と言うべきだろうし、こういう使い方はあまり聞いたことがない。本当にこんな使われ方をされているのかな?

介護の業界で使われる場合、2の意味はない。といって、1の意味だけでは充分でないだろう。
列挙すると、こんな感じになるのではないか。

1. 挨拶
2. 気分や体調、意思の確認
3. 相手の言葉への支持および賞賛
4. 行ってもらいたい動作の伝達
5. 励まし
6. 情報の伝達
7. お礼

これらは、介助場面において毎回普通に行われているはずのことである。と言うより、介助の一部だ。
またこの他にも、

8. 話題を振ること
9. 安否や困っていることの有無の確認

という意味もある。要はこちらから声を発することの全てに該当し得るのだ。計画や記録で用いるには曖昧過ぎる。

担当が作成するケアプランの原案に、「声かけを多くする」といった使われ方がされているのを時々目にする。これはたぶん、「放っておかないで話しかけましょう」ということなのだろうが、

そんなのは当たり前の話だ。わざわざ計画に書くことではない。

また、もう一つ理由がある。
「声かけ」という言葉は、言うまでもなく「声をかける」という目的語+動詞を名詞化したものである。なぜ名詞化する必要があるのか。
声をかけるというごく普通の行為を、「声かけ」なる名詞(業界内で多用されるという意味では専門用語と言ってもいいだろう)にすることによって、それがあたかも専門的な技術であるかのように見せたいという欲求が潜んでいるのではないだろうか。以前別のエントリで挙げた「アウトリーチ」と同じように。

もちろん、言葉は専門的な技術足り得る。それどころか、介護職員にとって最も重要な技術だと言っていい。
だから、軽々しく「声かけをする」などと書いて欲しくはない。

それと、そもそも私は名詞化が嫌いなのかもしれない。
例えば「声出し」「立ち上がり(単に起立するということではなく、歩行にリスクのある方が周囲の思惑に反して行う場合)」など、行動を描写する文章の名詞化もイラッとする。そこには、その方の個性を無視した行為の類型化が垣間見えるからだ。

しかしこれはまた別の話。