センサーマットによる自立支援

エントリ「『身体拘束=悪、身体拘束廃止=善』?」などで何度か書いているが、センサーマットによる見守りは、「動くとすぐ職員が飛んで来る⇒自分は常に監視されている」という心理的な拘束になりうると思っている。この考え方自体は別に目新しいものでもなんでもないだろう。
だからセンサーマットは使用すべきでない、と言いたいわけではない。全ては目的と使い方である。これも前掲のエントリで書いた時から考えは変わっていない。
また例え転倒するリスクが少なからずあっても、ご本人さんやご家族さんには、自室内ではある程度自由に行動する生活を選択していただいても良いとも思っている。どれだけ施設が転倒を防ごうと努力しても、転倒・転落の危険性を0にすることは不可能である。

さて、ここでセンサーマットを使用していない、認知症が進んで来て身辺自立の度合いが落ちてきている方を想定してみる。
転倒のリスクは低くなく、実際に転倒されたこともある。その時の状況が、例えば早朝、自分で着る服を洋服ダンスで選んでいてバランスを崩してしまったのだとすると、職員は、同じことが繰り返されないよう、先回りしてお手伝いしよう、と考える。
そうして、職員が朝早めにお部屋に伺い、起きていただいて、そこからゆっくりとご自身のペースで着るものを選んでいただき、着替えを見守ることができれば問題はない。しかし、高齢者が目を覚まされる時間にはそう大きな差はないので、職員は他の方の介助にも入らねばならず、その方だけに時間をかけているわけにはいかない。その結果、服を選ぶのは職員が行ってしまい、しかも更衣もかなりの程度を介助する、ということになってしまう。
本来できるはずのことを奪ってしまっているわけだ。

ここで、もしもセンサーマットがあったらどうだろうか。
職員は、センサーマットが反応した時のみ訪室し、ベッドから離れておられる間、時間の許す限り見守って、それ以外の時には安心して他の方の介助に入ることができる。その方は、自分で服を選び、着ることを続けられるわけだ。
こうなると、センサーマットは危険防止だけではなく、自立支援にも役立っていると言えないだろうか?

全ては目的と使い方なのではないか。

広告

高齢者の服の好み

ファッションセンスとは何だろうか。

例えば音楽においては、音感やリズム感の個人間での優劣は明らかに存在するし、それは正しい音やリズムからどの程度逸脱するかという視点で客観的に評価し得る。敢えて逸脱することで美しさを表現するフェイクなどという手法もあるし、いわゆる「ヘタウマ」な大物シンガーもいるので、絶対的な指標で全てを語れるわけではないが。

ファッションにおいては、こうした絶対的な指標はない。個人間での感性の優劣は確かに存在する(とみなされている)が、それはあくまで人々が共通認識として集団内で形作ったものをベースにしているに過ぎない。
この共通認識は、そもそもファッションという言葉が「流行」という意味なのだから、時代と、母集団の性格によって変わってくる。ある集団においては好まれるものが、他集団にはさっぱり理解できないということは往々にして起こる。
そういう意味では、ファッションは感覚というよりも知識の領域である。しかし人は皆、己の学習してきたことを基にしていながら、知識を超越した感覚としてファッションを捉えたがる。

つまり、我々が高齢者の着ているものを見てセンスを云々するのは、おそらく間違っている。間違っているとは思うのだが……それにしても何とかならないものかと感じてしまう。

ということで今日の話題は高齢者の服装だが、主には女性である。男性は無頓着な方が非常に多い。おそらくはずっと奥さんの選んだものを着てきたのだろう。

女性の高齢者は、一般に黒や茶などの暗い色を好む。例外は紫で、これだけはかなり彩度が高くても許容される。紫は高級、品の良さをイメージさせるためかもしれない。紫のパーマが、いわゆる「大阪のおばちゃん」というステレオタイプであるように。
柄は、花などの細かな模様が密集したものが好まれる。いわゆる千花模様が多く、「貴婦人と一角獣」(パリのクリュニー美術館にあるタペストリー)かい! と思わず突っ込みたくなるようなブラウスをよく見る。

そして柄物に柄物を重ねることには、特に違和感がないようである。柄物のブラウスに柄物のズボン(ボトムとかパンツとかではなく、ズボン)を合わせていたりする。その上に柄物のスカーフを巻いていたりすると、見ているこちらは目がちかちかするようだ。

これは単純に好き嫌いという話ではないように思う。職員がボーダーやヴィヴィッドな色を着ていると「いい服だね」と褒めることが多いからだ。
しかし自分では好まない。洋服箪笥に若々しい服を見つけると(滅多にあることではないが)、着るようすすめてみるのだが、その場では着てもらえても、後で着替えられてしまってがっかりしたりする。
これは自信の喪失を表しているように思う。要介護状態となったこと、施設に入所していることに関してどこか引け目を感じていて、それが服装の好みにも反映されているということはないだろうか。

まあ、大きなお世話かもしれない。
大切なことは、自分で自分の着るものを選べる生活を、少しでも長く続けてもらうことなのだろう。入浴の準備をしている時など、ついついこちらで適当に選んでしまったりすることもあるが、なるべく選んでもらえるようにしたいものだ。

要介護高齢者による投票

このブログでは時事問題などは採り上げないことにしているのでリンクは貼らないが、介護職員による公職選挙法違反、つまり投票干渉事件が時々報道される。

介護施設は、施設内で期日前投票を行うことができる。投票所まで出かけるのが困難な要介護高齢者への便宜を図るという意味では好ましいことだが、実際のところ、投票干渉はやろうと思えば難しくはない。
私もかつて老健で期日前投票を何度か手配したことがあるが、毎回要介護高齢者の投票についてはどこかすっきりしないものを感じていた。

以下の記述については、私の住む自治体に限ってのルールも含まれているかもしれないので、その点は予めご承知おきいただきたい。

まず、施設で期日前投票を行うには、専用の部屋と第三者の立会人が必須である。利用者さんはその部屋に入室し、投票用紙に記入して封筒に入れ、封をする。それを立会人が確認、施設は封筒を取りまとめて選挙管理委員会へ送付するわけだ。

施設での投票のルールで最も特徴的なのは、投票室内に政党名や候補者名を掲示することができないということだ。
普通、我々が投票に行くときには、投票用紙の記入台には政党名や候補者名が掲示されているものだが、それが許されていないのである。そのため、部屋の外の壁に掲示して、投票したいという利用者さんには、入室する前に選んでおいていただく。

しかし、そうした手順を踏むことができない方も多い。
まずは、文字を書くことができない方。そういう方には、職員が付き添って代筆することも可能である。代わりに投票用紙に記入し、それをご本人さんに見て確認してもらってから封筒に入れるという作業を行うのだ。

また、認知症のある方。何しろ室内には政党名や候補者名は掲示できないので、部屋に入って投票用紙に書くまで、政党名や名前をしっかり覚えていられなければ投票が成立しない。そこで入室する時点で、付き添いの職員はその方が投票したいと考えている政党名や候補者名を聞かせてもらった上で、投票台まで誘導する。そして。

「それではこの投票用紙に記入してください。ご自分で書くことができなければ、私が代筆させていただくこともできます。代筆いたしますか? わかりました。では投票したいと思う候補者の名前(政党名)を教えてください。はい、ではその名前を書きますね」
「書きました。確認をお願いします。合っていますか? では、これを封筒に入れて、誰にも見られないように封をします。はい。それではこれを、あちらの席の担当者のところに渡してください」

といった流れで投票を行っていただくわけである。
もちろん私たちは投票干渉などしたことはなかったが、もし職員がやろうと思えば、利用者さんが投票室に入室する際に、付き添いの職員に「この方は○○氏(○○党)に投票するそうですのでお願いします」と伝えるとか、または付き添い職員がその方の意思に反した名前を投票用紙に記入、それをご本人さんにはっきり見せずに確認してもらった振りをして封筒に入れるとか、そういった不正もできなくはない。

要介護高齢者の投票は、社会参加という点ではとても好ましいことである。人は歳を取っても、また障害を抱えても、社会に参加する権利がある。
しかし認知症の方となると、その一票の意味を考えれば、どうしてもどこか釈然としないものを感じてしまう。ましてや不正の温床となっている可能性もあるのだと思うと……

今後、社会の中で高齢者の占める割合はますます増大していく。こうした方法で投じられる一票の重さもますます増していくことになる。一度、改めて議論を深めておく必要があるのではないだろうか。

金銭管理

うちの施設の入居者さんは、手元にお金を全く持っていない方が多い。

私が入職した頃までは、そんなことはなかったらしい。しかし私が入る直前に、紛失事故が立て続けに起きた結果、事務室でお預かりすることとなり、専用の金庫が購入された。

認知症の有無にかかわらず、お金を完璧に管理できる要介護高齢者はほとんどいないと言っていいだろう。しまい忘れたり、お孫さんにお小遣いとして渡したのを忘れてしまったりといったことが常に起こり得る。施設としても、管理していない以上確認のしようがない。

しかし、だからと言って全く持たせないようにするというのもあまりに短絡的だ。
ある程度金銭管理ができるのにそれを禁じるということは、できることを取り上げてしまうことに他ならないし、そもそも手元に全くお金がないというのは誰にとっても不安なものである。見当識に障害のある認知症の方であればなおさら。
もちろん、施設生活をしていれば、お金がどうしても必要になる場面は全くない。買い物の際には施設から立て替えておき、後で請求に含めることが容易にできる。しかし、それを理解できる方ばかりではない。

だから、うちの施設でも絶対にお金の所持を禁止しているわけではない。ただし、たとえ紛失しても施設としては一切責任を負いませんので、それでもよければ、というわけである。
そうして持たれている方が何人かいて、例えば公衆電話から電話をかけるときに使ったり、たまの買い物に出かけた時に(もちろん、本当は買い物くらいしょっちゅう連れて行ってあげられるといいのだが)、自分で財布を取り出して支払いをする。

自分で買うものを選び、レジで支払う。
たったそれだけのことが、喜びや自信に繋がることもあるのだ。

叶う見込みのない望み

風邪ひき中。
咳が止まらず、昨日もブログ更新を断念。早々に寝てしまった。

咳はとても眠れそうもないほどに酷かったため、ネットで「咳を止める方法」で検索したら、「タマネギを真っ二つにして枕元に置いておくといい」というのがあったので、試してみた。
そのおかげで? 昨晩は何とか眠れた。今晩もやってみようと思う。

さて。先日、ご家族さんから言われたこと。

「職員の○○さんから、『体重を落とせば歩けるようになる』って言われたけど、本当かな?」と。

このブログでも何度か触れたことのある、尖足の方である。
この方は、無理な格好で歩行練習を行っていることが災いし、膝の変形が進んでいる。

このままでは、この先ご本人さんが辛い思いをするだろう。歩けるようになれないのであれば、そのことを早く本人に伝えた上で、車椅子を使いながらの生活を組み立てていった方がいいのではないかと思い、主治医に相談してみたところ「再び歩けるようになるのは無理だろうが、それを本人に伝えると意欲が失せ、心身の機能が落ちるだろうから、絶対に伝えるべきではない」と言われてしまっている。
この辺りは、エントリ「内反尖足との戦い」で述べた通り。

どのみち歩けるようにはならないのであれば、ダイエットのために日々の楽しみである間食を奪ってしまう意味はない。大福やアイスが大好きな方なのだ。

なのに、無責任な発言をして、もしもご本人さんやご家族さんがそれを間に受け、懸命にダイエットを始めたらどうするつもりなのだろうか?
頑張って体重落としました、でも歩けるようにはなりませんでした。そうなったらご本人さんに何と言葉をかける?

残酷な話だ。
介護の仕事をしている以上、そういうことに気の回る職員であって欲しいと思う。