超自我の抵抗とバイステック

私はバイステックの『ケースワークの原則』を読んだことがない。

むろん、社会福祉士や介護支援専門員の資格取得の過程で、さんざん目や耳にしてきた。だから有名な7原則くらいは知っているが、その程度である。当然それを実践できてもいないだろう。
このことを、まず最初に断わっておく。

さて。
私はこれまでの介護の仕事の経験の中で多くの方々にお会いしてきているが、その中には「この人を援助したい」とは思いにくい方々もいた。自分勝手だったり、態度が攻撃的だったり、これまでの人生で法や人の道に外れたことをしてきていたり……
そうした方に対しても、他の方々と同じように分け隔てなく援助するのは、ある意味自分を殺すことであり、そこには何らかの理由を必要とする。

人は誰しも己の価値観に従って生きている。その価値観と相容れない人の利益を図ることは、己の価値観を歪めることになる。精神分析的に言えば、超自我の抵抗を受ける。
これは、援助者も人である以上は当然の反応である。

私が真っ先に思い浮かぶ例は、かつて仕事のため某国に何度も海外出張し、その度に少女買春をしたと、非人道的なエピソードの数々を自慢げに話された方である。脳梗塞により半身麻痺となり、介護サービスを利用していた。
素の自分ならば軽蔑しか感じないような人に、敬語を使い、身体介護を行う。この仕事は何なのだろうと思った。

ここでもしも、「世の中には援助されるに値しない人もいる」と考えてしまうと、では援助されるべき人とそうでない人はどのように区別されるべきかという問題が生じる。
それを解決する最も手っ取り早い方法は、被援助者に一定の条件を課すことである。それこそ、「金さえ払ってくれればどんな人でも顧客である」でもよい。もっとも、他人からの援助を必要とする方には、経済的に困窮している人が少なくないものであり、援助が直接報酬に結びつくことのほうが少ないのだが。
あるいは逆に、「全ての人が援助を受けるに値する」と考えるか。

しかしいずれにしろ、援助者の超自我は抑圧されることとなる。援助されるべき人とそうでない人とを判断する基準は、援助者個人に委ねられるべきものではないし、それにたとえ委ねられたとしても、完璧に実行することは不可能である。一見したところ善良な人に見えても、その方がこれまでに送ってきた人生の全てを知ることはできず、単に知られていないだけで、過去には犯罪や、それに類する人の道にもとることをしてきたかもしれないからだ。

バイステックの7原則は、このジレンマから援助者を(被援助者を、ではなく)解放するためのものではなかったろうか。

つまり、被援助者のためにはケースワークとはどういうものであらねばならないかという理念から、具体的な技法が導かれているのではない。
援助者が己を守るためにはどういった態度で臨めば良いか、それを技法化しているのである。

それが私のバイステックの7原則に対する印象である。

もちろん、私は7原則の中身の妥当性を云々しているのではない。著作も読んでいないのにそんなことができるわけはない。
いい機会なので読んでみようかと思ったのだが、iTunes Storeはもちろんのこと、Amazonにも電子書籍版がなかった。いっそ日本語訳ではなく原著でもいいと思ったものの、それすらも存在しない。
さてどうしようかな。

バズワード

このブログでは、社会福祉用語について何度か書いてきた(エントリ「社会福祉用語」「自己覚知」など。

だんだん、私がなぜこうした用語があまり好きではないのか分かってきた気がする。

バズワードという言葉がある。これは、主にコンピュータ業界でよく使われていた。一般にどれくらい認知されているのかは知らない。
例えば、最近ではあまり聞かなくなったが、「ユビキタス」。もともとの意味は「偏在する」ということで、身の回りのあらゆるものがコンピュータ技術によってネットワークで結ばれている状態を指す。しかしこの言葉も定義があいまいで、単にどこにいてもネットワークに繋げられること、という程度の意味でしかないこともあれば、文字通り身の回りの全てのものがコンピュータ技術で繋がっている状態という意味のこともある。
結局のところ、「それって凄く便利な生活だよね」という感じはするものの、よくよく突き詰めてみると何だかよく分からない、としか言いようがない。
こういうものがバズワードとされる。一見もっともらしい、専門的な言葉のようでいて、実はそれが何を示しているのかはっきりしない用語だ。

社会福祉用語にも、バズワードが多いように思えるのだ。「ノーマライゼーション」とか「エンパワメント」とか。

それらの言葉が指し示しているとされる内容については文句はない。素晴らしいことだ。
しかし、新しい言葉や概念を生み出したからといって、世界は変わらない。

「ユビキタス」という言葉は何も生まない。我々の生活を実際に変えていくのは、コンピュータの小型化であり、OSの壁を越えたデータの利用方法であり、プライバシー保護やセキュリティ技術である。

福祉の世界だって同じことなのではないか。

社会福祉用語の統一・普及

このブログでは社会福祉用語の曖昧さについて何度か触れているが。
こういうものがあった。

わが国の社会福祉教育,特にソーシャルワークにおける基本用語の統一・普及に関する研究報告書(2005(平成17)年3月 社団法人日本社会福祉士養成校協会)
http://www.jascsw.jp/researchpaper/h15_yougo_report.pdf

まず103冊のソーシャルワークの文献から11,594語を抽出、それを頻出順に491語に絞り込んで説明と定義を検討、さらに151語を選出。その上にパブリックコメントを踏まえ、定義を行ったものである。

こうした研究が行われたということは、社会福祉用語に対する私の苛立ちは、多くの人たちが同じように感じていたということなのだろう。それにしてもこの報告書が作られたのはもう8年も前なのだから、もうちょっとスタンダードになっていてもよさそうなものだ。私が無知なだけかもしれないが……

まあいずれにしろ、通常は、用語集の類を作るのにこれだけ多くの人々が関わることなどそうそうない。そうした中で作られたものなのだから、成果として評価すべきだろう。
社会福祉士や介護福祉士、介護支援専門員の試験勉強をされている方は、是非一通り目を通しておくことをお勧めする。何しろ151語しかないのだから、短時間で全て読める。

私も今後は、このブログで用語の一般的な意味を記す際には、これをスタンダードとしようと思っている。

社会福祉用語

最近、ようやく介護福祉士国家試験のための試験勉強を始めた。
間もなく、以前に社会福祉士の試験勉強をしていた時と同じ不満がふつふつと沸き起こってきた。今日はそれについて書こう。

普通、学問では、用語よりも先に、まず理論そのものが重要である。
一例を挙げると、フロイトの提唱した有名な「エディプス・コンプレックス」は、男児は母親を愛し父親をライバル視するという理論にそのユニークさ(「独自の」「個性的な」など広義。以下同じ)があるわけで、誰もが認めるごく当たり前のことに突飛な名前を付けたわけでは決してない。

社会福祉学は、大して深い意味はない概念に、もっともらしい用語を付けるのが大好きである。
例えば、「アウトリーチ」という用語がある。その大まかな意味は、援助が必要な方に対して援助者の方から手を差し伸べるといったようなことだ。
これを「アウトリーチ」と呼ぶことは別に構わない。しかし、言葉の概念自体にユニークさはないので、学習においてこの言葉を覚えさせる意義が分からない。「援助が必要な方に対して援助者の方から手を差し伸べることをアウトリーチという」という一文の正誤を答えさせる問題に、いったい何の意義があるというのだろう?
極端な話、アウトリーチという用語を知っていても知らなくても、時には援助者の方から手を差し伸べることも必要だという当たり前のことを認識していれば、それで何の不自由もないように思える。

社会福祉には、こうした言葉の由来や定義もはっきりせず、存在意義の分からない用語がたくさんある(エントリ「自己覚知」など)。
まるでこうした学術用語を作り、駆使することで、あたかも立派な学問であると見せかけようとしているかのように。

だから、学習していても面白くない。その言葉を知っているからどうだというのかと思うことの連続だからである。
少なくとも私にとっては、学ぶことの面白さは、その学問の持つユニークさに触れることにあるのであって、業界用語を暗記することにはない。

……って、ダメだこれは。
単に勉強に身が入らない言い訳をしてるだけだ。
不満があるなら、こうした知識を求める福祉の資格など取らなければいいわけで。

さーて勉強しよう。

社会福祉援助技術論

昨日はまたしても更新落としてしまった……

一昨日のエントリを書いていて、ふと思った。
社会福祉士の試験科目には、確かに社会福祉援助技術論というものがあった。しかし試験勉強をした記憶が全くない。

私の社会福祉士の試験勉強は、エントリ「iPod/iPhone学習法」でも少し触れたが、まずは過去問を解き、そこで引っかかった個所や、通信教育を受けていた専門学校が送ってくれた重要事項のまとめをテキストファイル化してiPodに転送、時間の合間にそれを単語帳のように見る、というものだった。
iPodだと参考書みたいにかさばらないし、もともと常に持ち歩いているものだし、バックライトを点ければ寝る直前、布団の中ででも勉強できるし、なかなか便利だった。
昼休みにiPodで音楽を聴きながらそのファイルを見ていたのを思い出す。その後、ケアマネの試験のときも同じやり方をした。

その頃作っていたテキストファイルがまだPCに残っているので、改めて見てみたが、社会福祉援助技術に関するものはない。
つまり、全く勉強しなかったということだ。暗記する必要のあるものは何もなかったということだろうか?

その当時のノートを見てみると、こう書いてあった。

「社会福祉援助技術論は、問題文をよく読めば常識の範疇で解ける。事例問題は人としてどう行動すべきかを普通に答えればOK」

……。

まあ、これらのテキストファイルは、科目別のものよりも、科目を横断して、重要な出来事などを年表スタイルにまとめたもの、そして人名とその業績をまとめたものがメインになっていたので、それがつまり社会福祉援助技術論の学習になった、ということなのだろうと思う。

ちなみに実際の試験での社会福祉援助技術論の得点はどうだったのかというと、30点満点中22点。
決して自慢できる得点ではない。

危なかった……