景気と高齢者の死亡率

高齢者の死亡率、景気良くなるほど上昇 蘭研究
http://www.afpbb.com/articles/-/3001038

高齢者の死亡率は、景気が低迷するほど上がるのではないかという仮説をもとにオランダのライデン・アカデミーが研究を行った結果、失業率の増加やGDPの低下は、予想とは逆に、死亡率の低下と関連していたという。

どうしてこうなるのか、記事では
・好況時には若い家族親戚や友人の労働時間が長くなり、高齢者と付き合ったり世話をする時間が減るといった社会構造の変化
・景気拡大期に増える大気汚染が、より虚弱な高齢者の健康を害する

と2つの仮説を挙げている。

値の上ではそれほど大きな影響を示しているとは思えないのだが、もし本当に関連があるとするなら、
・景気が良ければ飲酒や喫煙などの嗜好品、豪勢な食事の機会が増える。人間は本来、ある程度質素な生活の方が健康的である
といった理由もあったりするのでは、などと考えたのだった。

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規制緩和がもたらすもの

昨日に引き続いて、私の苦手な分野の話を。

アベノミクスの第三の矢として挙げられている「成長戦略」であるが、それには「雇用の流動化」が含まれる。
かつて小泉政権で規制緩和が進められた結果、大量の非正規労働者が生まれ、後のリーマンショック以降に派遣切りが問題となったが、再び労働者は守られない方向にと歩まされている。

小泉政権により緩やかな景気回復が見られていたかもしれないが、振り返ってみれば大したものでもなかった。企業は売り上げを増やしたのではなく、人件費を抑えることで利益としていただけだと言う人もいるくらいだ。
それと、また同じことが繰り返されつつあるのではないか。

介護の業界も無関係ではいられない。
方向性として、国から市町村へと権限が移行しつつある。これに伴って介護サービス事業所に求められる様々な要件が緩和されれば、サービス提供が柔軟に行えるようになるかもしれない。
しかし、それは財源が潤うことによるものではないので、ツケは全て労働者に回ってくる。介護職員は今と変わらない収入と人員配置で、良質のサービス、そして過酷な労働を強いられることになる。
結果、介護の仕事はますます人々から敬遠され、サービスの向上は上手く進まないだけでなく、虐待さえ増えるだろう。

必要なのは規制緩和ではない。
労働者が安心して働ける環境を整えるよう、国が事業者をより厳しく指導し、そして良質なサービスには高い報酬が保証される制度を創ることで、職員のモティベーションを上げていくことだ。
逆に言えば、今のサービスのままで報酬だけを上げる必要はない。それに値する仕事をしている職員は少数だし、そんなことをしても悪質な経営者の搾取する分が増えるだけだ。

最近の報道を見て、介護保険制度がさらに悪い方向に進んでいると感じずにはいられない。

このブログでは時事や政治、社会問題は採り上げないことにしているのだが、昨日今日と柄にもないことを書いてしまった。
夜勤続きの疲労で思考が少しネガティヴになっているようだ……明日からまたポジティヴにいこう。

社会保障の充実と経済成長

社会保障の充実と経済成長は両立しないとよく言われる。
前者のためには課税によって国民や企業の負担を増やさねばならないが、これが後者を阻害するというわけだ。

ただ、例えばスウェーデンなどは高福祉と経済成長を両立させているとされ(一例)、最近では一概にそうは言えないとも考えられている。
しかし一方で、先日オランダ国王が「20世紀型の福祉国家は持続不可能であり、国民の自助努力を求める」と演説したという報道もあり、両立させるのはやはり容易ではないのだろう。

低福祉で、国民の自助努力を求める国の代表は何と言ってもアメリカである。日本はそれでも国民皆保険などを実現させ保ってきてはいるが、高度成長期はそれでうまくいっていたものの、経済成長率が低下し、しかも高齢化が進み、さらには雇用や家族の形が多様化するに伴って、社会保障が不充分になってきた。

税金が少なければ、その分自助努力が求められるのは当然である。
そして税が少ないということは、可処分所得すなわち個人が自由に市場内で購買活動を行える分が多くなるわけで、つまり売れる商品やサービスを生み出せる者、自身の価値を創造できる者は、収入を増やすことができる。これは同時に収入を増やせない者を生み出すことでもあるので、つまりは格差社会になる。
格差の是正は、単純に累進課税によって行えば勤労意欲を殺いでしまうので、簡単には行えない。アメリカも日本も、なるべくして格差社会になっているのだ。

経済再生を強く押し出していた自民党に投票した人々は、介護予防の市町村事業への移行や、介護サービスにおける自己負担割合の見直しなど、社会保障費が締め付けられていく過程を目の当たりにして、どう思っているのだろう。具体的な方法の如何はともかく、社会保障の空疎化は予想できたことだろうから。

そのことに善し悪しはない。競争に勝たなければ豊かな暮らしを営めない、自助を重んじる社会を選ぶのも、富豪にはなれない代わりに格差がなく、互いに助け合う社会を選択するのも、各々の国民に委ねられている。日本は前者であるというだけの話だ。

私は、前者よりも後者の方が好きだ。
どんな生まれであっても、どんな個性を持っていても、その人なりに努力すれば豊かな生活を営め、困った時には互いに助け合い、将来への不安を抱かずに暮らしていける社会の方が。

しかしこれは、今の日本においては、ただの負け犬の遠吠えである。

高齢化問題は地方よりも都市の方が深刻

高齢化は地方よりも都市の方が深刻だと言われる。最大の原因は、都市に流入し高度成長期を支えた団塊の世代が、高齢者世代を迎えるためだ。

問題は高齢化の率よりも高齢者の絶対数の増加であり、このまま進むと、都市はある時、高齢者の数がキャパシティを超え、医療と介護が供給されなくなり、パニックに陥ると警鐘を鳴らす方々がいる。

つまり。
病気になっても入院治療ができなくなる。
介護が必要になってもサービスが受けられなくなる。
そんな日が、そう遠くない未来に来るというのである。

一例として、とあるブログへのリンクを貼っておく。

高齢者の増加で、首都圏はある時突然ダウンをする(システムエラー) / 未発育都市
http://d.hatena.ne.jp/baby_theory/20130615

しかし国も何の手段も講じていないわけではない。厚生労働省が、都市部の高齢化対策に関する検討会を設けており、先の6/13に第2回の会合が開かれている。

第2回都市部の高齢化対策に関する検討会資料
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r985200000349vw.html

上のページには、5/20の第1回検討会で挙がった主な意見の要約もアップされている。それを見ると、結局はボランティア頼みなんだなあ……とため息が出る。
ただ、杉並区の長寿応援ポイント事業のように、完全に無償ではないものもある。こうした取り組みは評価したい。

また、都市の高齢者を地方へ、という方法も検討されていて、杉並区と南伊豆町の提携がモデルになっている。「保養地型特養」と呼ばれる施設を地方に作り、提携都市と地元の住民を優先的に入所させるというものだ。

また、CCRC(Continuing Care Retirement Community)の導入についても提案されているようだ。これは、アメリカにおける高齢者の生活共同体である。
しかし、アメリカのCCRCの敷地面積の中央値は12,240坪だそうである(高齢者のための新しい暮らしのモデル「米国のCCRCについて」)。日本ではそれだけ広大な敷地を用意するのは容易ではないので、一つの敷地内に全てを揃えるのではなく、構成する施設が多少離れたところにあっても、連携して同じ機能を持たせようという案もあるようだ。
だがこれは、アメリカではともかく、日本ではうまくいかないと思う。その理由は、医療法人が経営主体になるとそこで暮らす人々の生活面に目が行き届かず、社会福祉法人が経営主体になると医療との連携が不充分になると思われるからだ。
この理由は、医療と介護とを分けてしまったことに原因がある。

いずれにしろ、このままでは都市において医療・介護が崩壊するという説にはそれなりに説得力が感じられる。厚生労働省の動きが、それに果たして間に合うのだろうか。

高齢者と貯蓄

総務省統計局が毎年報告している『家計調査年報(貯蓄・負債編)』の平成23年版で「世帯属性別にみた貯蓄・負債の状況」を見てみよう。
http://www.stat.go.jp/data/sav/2011np/pdf/gk03.pdf

世帯主が60歳以上の世帯は全体の47.0%であるが、貯蓄全体の64.6%を占めている。こうした世帯は増える傾向にあり、そのため貯蓄全体に占める割合も増加している。
さらに、貯蓄現在高が2,500万円以上の世帯が全体の3分の1を占めているのである。

この理由は、若い世帯では貯蓄を初めてからの年数が少ないこと、そして何よりも住宅ローンの影響であると思われるが、いずれにしろ日本で最も貯蓄をしているのは高齢者であると言えそうだ。

ただ、貯蓄現在高は平均値が2,287万円であるのに対し、中央値は1,542万円である。つまり、一部の高齢者が多額の貯蓄を蓄えているだけで、全体として「日本の高齢者は豊かである」とは言えないのである。実際、貯蓄が200万円未満の世帯も10%以上存在しており、経済的に困窮している世帯も少なくはない。

高齢者が貯蓄をしていることを悪いと言っているのではない。実際、現在の日本では、それなりに豊かな老後を送りたいと思えば貯蓄に頼るしかない。収入はその多くを年金に頼っており、しかもその額が充分ではないのだから。
しかも老後の資金は「これだけあればまず大丈夫」という金額をあらかじめ見積もっておくのは難しい。何歳まで生きるか、どんな病気にかかるかなど誰にも分からない。そのため、「蓄えはあればあるほどいい」と考え、貯蓄額が増えていくのだろう。

だが、もしも年金額が充分で、医療や介護など社会保障がきちんとしていれば、それほど蓄えておく必要はないはずだ。

蓄えるよりも消費した方が経済は動く。
多額の貯蓄を抱えていて、死亡した時に相続税で取られるよりも、消費して生活を楽しむ方が日本の経済全体から見ても好ましいのではないか。

高齢者が貯蓄をせずとも良い社会が私の理想である。
もちろん今の日本ではそうは言っていられないので蓄えるしかないが、北欧のように福祉制度への安心感があれば、必死に溜め込む必要はなくなる。
年金で生活し、万一の際にはその年金の中で、自宅で介護を受けたり施設へ入所できる。特殊な事情によりそれが難しい方には生活保護で救済する。
現在の生活保護費の額では、老人ホームの個室には入れない。これでは老人ホームは生活の場ではなく収容施設になってしまう可能性がある。しかしこれを避けるためには、保護額をそこまで上げるよりも、やはり年金額を上げるべきではないかと思う。
また老人ホームの個室の費用も、建設コストを見直すことで実はもっと安くできるはずと思っているが、それはまた別の話。

ここまで来るともうそれは資本主義ではなく社会主義ではないのかという気もしないではない。
別に私は社会主義を支持しているわけではない。ただ、資本主義にあっても、大きすぎる格差はやはり是正しなければならないと感じる。
私自身は、このままだと年金では有料老人ホームへ入居するのは厳しい。と言うか無理である。自宅を売却するかリバースモーゲージで補うしかないかなと思っている。
また毎月住宅ローンを払い、期間を短縮するために時々繰り上げ返済もしている中で、貯蓄や投資での資産形成も試みている。多くない給料の中で頑張っている方ではないかと思う。

ただ時々、

「何も考えずにもっとおいしいもの食べに行ったり、旅行したり、買い物したりしてえ!」

と思ってしまうのもまた事実なのである。

と言うか最近、経済とかの話が多くて、ただでさえ数少ないこのブログをご覧になってくださっている方が離れて行ってしまうのではないかと心配していたりする。
やっぱりもっと介護のことを書いた方がいいかな?