在宅医療・介護連携のための市町村ハンドブック

12/20、独立行政法人国立長寿医療研究センターが、このようなものを公表した。

平成25年度 在宅医療・介護連携のための市町村ハンドブック
http://www.ncgg.go.jp/zaitaku1/handbook/index.html

名前の通り、市町村向けのマニュアルである。まずは市町村で担当課を決定するところから始まって、在宅医療を推進する手順が示されている。そこには先進的な事例の紹介もある。

ざっと読んでみて思うのは、システムの構築よりも、結局は人を育てることに尽きるんだなあと。市町村職員然り、医師然り、地域包括支援センター然り、ケアマネ然り。

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チームケアをコーディネートするのは誰だ?

最近参加した研修で、「地域でのチームケア」をテーマにしたシンポジウムがあった。
シンポジストは、在宅医療をされている医師、訪問看護師、ソーシャルワーカー、介護士。

各々のシンポジストにはそれぞれ持ち時間が与えられ、用意してきた資料によって発表が行われた。
そこで、医師の考えるチームケアとは、医師と訪問看護とケアマネが三角形で結ばれており、介護サービスはケアマネの下に繋がれていた。つまり、医師と介護サービス事業者との間には、ケアマネが入ることになる。

また訪問看護師は、一つの円の中に医師、訪問看護師、訪問ヘルパー、管理栄養士、リハビリスタッフ、薬剤師なども含めてチームケアとしていた。これは自作の図なのか、どこかから引いたものなのかは定かではないが。

意見交換において、医師は、チームケアのコーディネートをするのは医師であることが望ましいが、ただし在宅診療をしていても熱心でない医師もいるので、実際にはそれができないことは多々あるだろうと述べていた。
看護師は、誰がコーディネーターになるのかは、そのケースによって違ってくるとしていた。

これらを正しいとか間違っているとか言うつもりはない。
しかしこの場所にケアマネジャーがいない(資格の有無ということで言えば、皆が持っているのかもしれないが)のも含めて、業界人がケアマネジャーにかけている期待というものは決して大きくないのだなと感じたのだった。

居宅介護支援事業所の指定権を市町村に

政令指定都市および中核市においては、既に居宅介護支援事業所の指定に関する権限は都道府県から移譲されているが、これを全ての市町村に敷衍したらどうかという案が出されている。

狙いは何か。

国は、地域ケア会議を国内に定着させたいと考えている。その目的は、無駄のない効率的なサービスの提供による給付費の抑制と、介護予防など現在介護保険サービスが担っている部分を、地域による共助(という名の住民の無料奉仕)に委ねてしまうことだ。

居宅介護支援事業所のケアマネジャーの立てたケアプランのチェックは、地域ケア会議の一部でしかないとはいえ、その中で大きな意味を持つ。
さて、ここで居宅介護支援事業所の指定・指導についての権限が都道府県のままであれば、地域ケア会議において足並みを揃えようとしない居宅介護支援事業所があっても、市町村としては、明らかな違反行為でもない限りは直に手を出すことができない。しかし指導の権限があれば、極端な話、実地指導で重箱の隅をつついて報酬返還や指定取り消しをちらつかせることができてしまう。権力を振りかざせるのである。

と、このように言うと実に感じが悪いのだが、必ずしも悪いことばかりではない。地域ケア会議が有効に機能しやすくなるのは確かだろう。
私は、そもそも介護サービスは地方自治体が自らの責任において提供すべきだと考えているので、サービスそのものは民間の力を使うにしても、ケアマネジメントが逐一チェックされるのは悪いことではないと感じる。
ただ、その視点が国の言う「自立支援型ケアプラン」だけになってしまうのはいかがなものか。

また、全ての市町村が良質の地域ケア会議を運営できるとも思えない。民間の介護現場から人材を登用することも進めていってもいいのではないか。

ボランティアでポイントを

千葉市が、市の指定する特養等でボランティア活動をするとポイントが付与され、介護保険料として使えたり、将来自分が介護を必要とするようになった時に利用料としても使える制度を始めるという。

ボランティアでポイント 将来の介護保険料に 千葉市が7月から新制度
http://sankei.jp.msn.com/smp/region/news/130620/chb13062022140005-s.htmリンク切れました。

清掃、配膳、話し相手といった活動に対し、1日1~2ポイント(1ポイントは100円換算)が付与されるらしい。
個人のボランティア活動で、ポイントといういわば疑似通貨が獲得できるというアイデアは、私は嫌いではない。活動されている方が何らかの形で利益を享受するのは良いことだ。
もちろん、時給に換算してしまうと悲しいことになりそうではあるが(1日を何時間と想定しているのかは分からないとはいえ)、目的を見誤らないためにも、そのぐらいでいいのかもしれない。

しかし本当は、単純に「今、他の人にしてあげたことは、将来自分もしてもらえる」というギブアンドテイクを保証できたらいいのに、と思っていたりする。
つまり、在宅の要援助者がヘルパーに頼めずに困っていること、例えば趣味や嗜好品の買い物、外出の付き添い、草取り、ペットの世話、雪かきなどのボランティアをしたら、将来自分がそれらの支援が必要になった時に、ボランティアに優先的に支援してもらえるというシステムだ。
施設での活動でも、清掃や配膳といった「職員の代わりの作業」ではなく、例えば図書館に行って読みたい本を借りてきてあげるとか、本の朗読、話し相手などを中心にすべきではないかと思う。いわば、現代の日本ではお金に換算できないものを、世代を超えてやりとりするわけである。

ただ、こうなると個々の活動に対し、行ったことを証明するのが難しくなる。それに、本当はそんな見返りがなくとも、互いに助け合える社会が理想なのはもちろんなのだが。

ところで千葉市では、自治会や地域グループの福祉活動にも100~300ポイントが付与されるというが、これは良い案だと思う。形骸化した、実のない集まりを助長しないことを願うくらいで。

鞭をふるうだけでなく

最近、国が地域ケア会議の手本としている、埼玉県和光市のコミュニティケア会議を研修で学ぶ機会があった。
もちろん和光市のそれは、素晴らしい取り組みである。それに関して異論はない。
が、ふと頭をよぎってしまったことについて書く。

我々介護従事者は、いったん介護を要する状態になった方に対しては、維持改善のための手伝いをするだけでなく、今のありのままの状態で生活を楽しんでいけるようにという方向も考える。
これは決して御用聞きということでなく、心身の障害を抱えるという不幸に見舞われた方に対し、「転んだら立ち上がって走れ!」とばかりに鞭をふるうのは可哀想、という思いがあるからだ。
そこには当然、「もし自分の身に置き換えてみたら……」という気持ちもあるはずだ。

和光市では、いわゆる地域ケア会議を「コミュニティケア会議」と称し、専門職が集まってのケアプランのチェック兼事例検討が行われる。そこでは、主には現在の状態と改善の見込み、効果的なサービスについて検討されることになる。当然、提出されるアセスメントにはご本人さんやご家族さんの意向も書かれるだろうが、会議でその部分までをもを追及するのは、時間的にも不可能だろう。

また、ケアマネの「合意形成能力」という言葉が強調される。
これはいわばご本人さんやご家族さんへのプレゼンテーション能力である。言ってしまえば、専門職の目から見て望ましい方向へと意向を誘導することだ。
しかし、ご本人さんが主体的に取り組んでいくためには、合意形成の先にあと一歩、必要なものがあるのではないだろうか。

和光市では、要支援状態からの「卒業」が50%もあるという。
うちの地域ではどうか。私がこれまでお会いしてきた中では、要支援から自立に戻った方などほとんど思い浮かばない。
そもそも、自立に戻ることが良いこととはあまり考えられていない。例えば要支援になってデイに通いはじめ、そこで友人もできて楽しそうに過ごされている方が、自立となることによって、デイに通えなくなるのは何よりご本人さんが寂しがられる。
もちろん、だからと言ってその方がデイサービスへ通う費用を、介護給付費という公金で賄い続けるのは問題である。ここでも、昨日のエントリで書いたような目的別の限度額というシステムが生きてくるのではないかと思うわけだが、それは今日は余談になる。

介護保険という公的な制度を使う以上、状態の改善のために頑張りなさいと言うことは、行政としては絶対に必要だろう。でなければ、いくら財源があっても追いつかなくなる。
しかしこの和光市の取り組みを真似した他の自治体、そして各々の事業所が、高齢者を頑張らせ過ぎないといいなと思ってしまった。
ケアマネとして、地域ケア会議でスーパービジョンを受けるのは大いに結構だが、それが絶対的な決定権を持つようになるのは正しくない。ご本人さんと直接向き合っているケアマネ自身ももっと力をつけ、自分が正しいと思える支援を突き通そうという思いも、介護というご本人さんの個性に多くを依る仕事では必要なのではないかと思ったのだった。