孤独か孤高か

そういえばこのところ、うちの施設の入居者さんのことをブログに書いていないことに気がついた。

適切な医療や介護ができていないことについて、イライラすることが減ってきたのだろうか。
入居者さんたちの現在の病状や認知症状などについて、原因や対応を考えることは日々変わらずにあるので、目の前の方々に対する興味がなくなってきたということはない。と言うよりも、そうなったら終わりである。
ただ、ここで愚痴をこぼす必要がなくなってきているのかもしれない。

今日は久しぶりに、とある入居者さんのことを書く。

脳梗塞の後遺症により、軽い右麻痺と、言語障害のある方である。嚥下機能の障害はないが、食欲の問題から胃ろうを増設され、うちの施設に入られた。
少しずつ、食事やお茶の時間には食堂に出て来られるようになり、食事も摂れるようになってきていた。しかしやがて乳癌が再発、詳しい検査はしていないが転移もあるだろうとのことだ。心身の機能は低下し続けており、今ではお部屋から出てこられることもほとんどなくなった。

最も調子の良い時には、お部屋から食堂まで職員が手を引き、歩いて来られていた。言語障害があるし、もともと人付き合いが好きな方ではないらしく、他の入居者さんとのコミュニケーションはあまりなかった。食堂に来られた際に会釈されたり、ボール投げなどの簡単なゲームをされる程度である。

認知症状は、言語障害のためにはっきりしない。こちらからの問いかけに対してははっきりと意思表示されるので、日頃の意思決定は可能であるとみなされている。
ただ、オムツに手を入れてしまって手に便がべったりと付いていたり、最近ではトイレに座っていただくこともなくなってしまったが、トイレでは陰部を掻いたりしていたことも考えると、認知症はそれなりにはあるのだろう。

お部屋にこもりきりになられてしまうのは、我々としては義務を果たしていない気になるものだ。そこで食事やお茶の時間には必ず、「食堂へ行きましょう」と声をかけているが、最近では毎回首を横に振られてしまっている。
また、そのような日課以外にも「表に藤の花が咲いたから見に行きましょう」などと声をかける職員もいるが(残念ながら全員ではない)、そうしたことにも元々あまり興味を持たれる方ではない。

その方は、最初の乳癌の時にも全く痛みを訴えず、出血するまで病院に行かなかったという。もともと我慢強い方なので、今回もどの程度痛みや倦怠感を我慢されているのかわからない。そんな状況で、行きたくないと言われているのを、更に離床を勧める気にはなりにくいものである。
また、もともと人付き合いが好きではない方に、皆さんと一緒に過ごす時間を持ってもらって、孤独感を感じないようにと援助するのも、もしかすると押し付けかもしれないと思う。
そうは言っても、その方はお子さんもなく、ご主人は亡くなられている。孤独感も押し隠しているのかも知れない。

こうなるともう堂々巡りである。

もちろん、こうしたことはこの方のみに当てはまるわけではない。
それに人は、矛盾する両面を持っているものである。だから我々は、ご希望を尊重しつつ、適度に気分転換をし、傍に誰かがいるという安心感だけでも感じて欲しいと思う。

その方の担当の介護職員も、こうした考えからプランを立てているように思う。やはり現場の人間も、プランに関わるのは良いことだ。

ただ、なかなか担当としての自覚が育たない職員もいる。それはこれからの課題だ。

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医療用麻薬適正使用ガイダンス

Twitterで、とある在宅診療医の方がツイートしていたこと。
有料老人ホームで末期癌の方を看取ることになったのだが、施設長から「介護スタッフが医療用麻薬を服用させることはできないので、レスキュードーズが必要になったら、医師が往診しなければならない」と言われたとのことだ。

形として又聞きなので、その施設長の真意は分からない。しかし本当にそう考えているとしたら、いささか情けない話だ。もしかすると、看取りなどやりたくないという意思表示なのかもしれない。
介護職員が医療用麻薬を服用させられないなどということはない。

平成24年3月に、厚生労働省より『医療用麻薬適正使用ガイダンス』が出されている(http://www.mhlw.go.jp/bunya/iyakuhin/yakubuturanyou/other/iryo_tekisei_guide.html)。
ここに、介護施設で管理する場合についての記述がある。それほど長いものではないので、抜粋して引用する。

7 自宅以外の療養場所における麻薬の管理について

患者の療養場所が介護施設※であっても、医療用麻薬の保管・管理は基本的に自宅と同様である。医療用麻薬は痛みを緩和するために用いる薬剤であることに主眼をおき、過度の管理によって患者が痛みに苦しむことの無いよう配慮する。
① 患者に交付された医療用麻薬の保管・管理にあたり金庫を用いる必要はない。
② 施設内の患者の居室ではない部屋で施設職員が薬剤を一括管理しているような場合においても、医療用麻薬も同じ場所で保管・管理して差し支えない。他の施設利用者の薬剤と混同しないよう氏名を記入した紙片を付したり一包化包装には氏名を記入するなどして識別できるようにしておく。
③ 医療用麻薬を患者の居室に保管する場合でも、金庫を設ける必要は無い。ただし、他の施設利用者が不意に居室に入るおそれがあったり、患者自身の認知機能低下などにより誤用するおそれがある場合には居室以外の場所で施設職員が管理してもよい。その際、患者が痛みを訴える場合には速やかにレスキュー・ドーズを服用させることができる介護環境づくりができるよう指導する。
④ 患者だけでなく施設職員にも用法や誤用の際の連絡方法などを伝えておく。
⑤ 使用済みあるいは不要となった医療用麻薬の回収又は廃棄についても施設職員に伝えておく。

※介護施設:介護老人保健施設・特別養護老人ホーム・介護付有料老人ホーム・グループホーム・ケアハウス・高齢者専用賃貸住宅・小規模多機能型居宅介護施設等(ショートステイ含む)

と、管理はこの程度で良いことになっている。
直接、介護職員が服用させることの是非については触れられていないものの、その他の薬と分けて考える必要がないことが示されているのだから、その他の薬の服薬介助はできるのに医療用麻薬は不可、とする理由はどこにもないはずだ。
介護職員が服薬を介助できなければ、「患者が痛みを訴える場合には速やかにレスキュー・ドーズを服用させることができる介護環境づくり」など、例えば高齢者専用賃貸住宅でできるわけがない。入居者さんが痛みに苦しみ出したとき、それから医師や訪問看護師に連絡し、来るのを待っているようでは、ご本人さんの苦しみは長引かされてしまう。

どうしても介護職員には服用させられない理由があるのなら(それが例えばどういうものか私には想像できないが)、最初から看取りなどできませんと言うべきではないか。

それにしても、こういうわけのわからないことを口にしたりするから、介護事業所は医療関係者から見下されるのだ。入居者さんの利益を第一に考え、それを克服する方法を考えさえすれば、簡単に見つけられる情報のはずである。

多くの入居者さんとご家族さんは、最期まで安心して暮らしていける場所を求めている。それに応えるためには、看取りは決して避けては通れない道なのである。

DNR

DNR(Do Not Resuscitate)という言葉がある。
医療の分野で使われている言葉で、介護の分野ではどのくらい認知されているものかは知らないが、私は最初に老健に勤めたので、この仕事を初めて間もなく知ることとなった。

直訳すれば「蘇生するな」となる。心停止した後に心肺蘇生を行わないでほしいという患者側からの意思表示であり、主には終末期に、急変した際を想定して予め確認しておくことを指す。そのための「DNRシート」というものが用意されている病院もあるようだ。

心肺蘇生とは、具体的には心臓マッサージ、昇圧剤の使用、気管挿管などである。これらを行うことによって蘇生したとしても、患者は、特に終末期であれば身体への負担は大きく、徒に苦痛を長引かせるだけという考え方もある。また家族にとっても、呼吸が止まった後に心肺蘇生が行われるのを目の当たりにするのは、本人が可哀想でとても見ていられないという気持ちになると聞く。それはそうだろうと思う。

私が最初に努めた老健では、全入所者に対し、万一の際に心肺蘇生を望むかどうかを確認していた。全入所者ということはつまり、終末期に限らないということだ。この仕事を始めたばかりの当時の私は、そういうものなのかと思うだけで、特に疑問は感じなかった。
そして実際それに従って、急変し心停止した際に、心臓マッサージなどを行わずに医師が死亡確認を行ったこともある。

うちの施設でも、看護師が管理者(介護事業部門責任者?)に、DNRについて確認しておくべきではないかと提言したことがあるらしい。
確かに高齢者は、いつ何があるかわからない。その際に、ご本人さんやご本人さんの希望と反したことを行い、その結果としてご本人さんの苦痛や、ご家族さんの悲嘆を強めてしまうことは避けたい。そのためには予め確認しておくしかないのである。

それに対しての、うちの施設の上部の判断は「病院ならともかく、在宅の延長線にある特定施設で、そこまでする必要があるだろうか」というものだったようだ(看護師から聞いた話)。
確かに、ご本人さんやご家族さんに予めそうした話をすることは、死について否応なしに直面させることになり、また事務的な、冷たい印象を与えかねない。それはうちの施設が目指す、入居者さんやご家族さんとの関係性とは違う。そう感じる気持ちも分かる。

ところで、うちの施設では、終末期が近づいたと思われる頃に延命治療についての希望を聞いており、今はそういう方が2名いる。
だが、延命治療についての希望とDNRは違う。そのため、現状では全ての入居者さんに対し、急変したら心肺蘇生を行うこととなる。
その結果、ご家族さんが「積極的な治療は望まないと伝えたはずなのに!」と却って辛い思いをする可能性があるし、また逆に治療は望んではいないのだからと考えて心肺蘇生を行わなければ「見殺しにされた」と思われてしまうかもしれない。

それが訴訟に発展する、ということはほとんどないかもしれない。だから経営上のリスクではないのかもしれないが、最期をいかに迎えるかというのは、ご本人さんにとっても、ご家族さんにとっても大切なことである。
悲しい最期になってしまうことは、我々の仕事で最も辛いことの一つだ。

書面に署名捺印を求めるまではしなくとも、やはり確認しておく方がいいのかもしれない。
だが、この問題については私の中でもはっきりした答がまだ出ていないというのが正直なところだ。

介護職の苦悩

食事が進まなくなり、衰弱してきた方がいるとする。
認知症がない、もしくは軽度であれば、本人の意思をまず何よりも尊重することができるが、重度の認知症のために意思の疎通ができない方であれば、ご家族さんの意向を重視することとなる。嚥下機能が低下しており、誤嚥の危険が高いにもかかわらずご家族さんが経管栄養などを行うことを望まれなければ、どういうことになるか。

延命を希望されず、また誤嚥の危険が高いからといって、以前より食事介助をしている方に対して食事の提供を中止するなどできることではない。選択肢としては、無理に食べたり飲んだりしてもらうのではなく、楽しみの範囲でお好きなものを、ということになる。これは決して間違っていない。

しかし、である。

いざ食事介助をしていると、やはり少しでも長く生きていて欲しいと思うし、そうなると何とか食べたり飲んだりして欲しいと思ってしまうのは人としてもう仕方がない。そうしてついつい食事を強いてしまったり、却って苦しみを長引かせているのではないか……と常に問い続けることになる。

さらには嚥下機能が落ちているとなると、むせることも多いだろう。こうして誤嚥性肺炎を繰り返しながら衰弱していき、いずれは……となるのだろうと想像はできるしそれを受け入れなければならないのも分かってはいるが、いざ肺炎を起こして亡くなった時に、自分の介助がその直接の原因を作ってしまったのかもしれないと、職員が自身を責めることはないと断言できるだろうか?

これは一例。介護の仕事にはこうした苦悩が付きまとう。そしてこれを実際に自ら経験していなければわからないことがある。

在宅医療と情報共有

新潟市で開かれた、第32回医療情報学連合大会でのシンポジウム「在宅医療における医療介護福祉連携」についてのレポート。

在宅の情報、皆で共有は正しいのか-家族「不要な情報排除してこそ決断できる」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121120-00000005-cbn-sociリンク切れました。

読む限り、医療介護福祉連携も何も、介護は完全に蚊帳の外である。

以下、在宅で自ら看取りを経験した方の報告より。

宮崎氏は、栄養量の記録は終末期の判断について、根拠を残すことが目的であったため、終末期の代理判断にかかわらないケアマネジャーとは、情報を共有しなかったという。
その理由として、もし情報共有の範囲を広げた場合、親切心からさまざまな職種が意見を述べ、不用意な発言が家族の心理的な負担となってしまい、満足のいく決断が妨げられることも考えられたためだとした。
宮崎氏は、臨死期への移行を決めるには、適切な情報が必要と言い、終末期を示す情報があったとしても、埋もれていては価値がないと指摘。多職種間の情報共有において、情報は連携のツールではなく、判断材料である点を忘れてほしくないとした。

中心となるのはあくまでご本人さんとご家族さん。それは当然だ。
だが情報をもとに的確に判断できるご家族さんばかりではない。と言うより、そこまでご家族さんに背負わせるのは無理がある。それに取捨選択に気を取られることは、情報に振り回されてしまうことを意味する。情報は利用するためのもので、全てを委ねるためのものではない。
そもそも「親切心からさまざまな職種が意見を述べ」ている状態は、連携が取れているとは言えない。重要なのは役割分担と、そしておそらくはケアマネジャーを含む介護職の知識向上なのではないか。それにより、終末期の方の生活の質を上げていくことも図りやすくなるはずだ。

他職種間では、情報は紛れもなく連携のツールなのだ。
情報とは何も、この方が例として挙げているような摂取カロリーだけではない。精神状態を推し量るための言動、身体機能、排泄の状態なども含まれるのであり、こうしたことは多くの職種が共有するべきなのだ。取捨選択はその後の課題であって、端から連携を放棄してしまうのでは、他職種が関わる意味などない。

この方が述べているようなことが医療従事者の共通した見解であるとしたら、残念ながら在宅医療は今以上に進んでいかないだろう。

ケアマネジャーや介護職が知識を付けていくことももちろん不可欠だ。
しかし在宅でお亡くなりになる方が少ない現状では、居宅サービスで看取りに関して経験を積むのは難しいのではないかとも思う。
一番は病院での研修かもしれないが、それに次ぐのは施設での経験ではないかと思う。最後の瞬間までを含め、終末期を一部始終、24時間常にみられるのは施設ならではである。

施設で経験を積み、それこそエンゼルケアまで経験した施設介護士が、在宅での医療と介護の連携に羽ばたいていけるようになることを夢見ていたりするのだった。