人脈

この仕事は人の出入りが激しいが、それも良し悪しだと思っていた。
それは多くの人と知り合えることでもあるからだ。つまり、人脈が広がる。この仕事は何よりも人脈が武器になる。

確かにかつてはそう思っていた。だから退職後も知り合いを大事にしようと思っていたが、今はメールすら面倒で、多くの人たちと関係が切れてしまった。
退職した人はさっさと連絡先から消去してしまう有様である。

多くの知り合いがいれば、困った時に頼れる。
今、うちの施設は危機的な状況に陥っているが、介護事業部門責任者がかつてうちで勤めていた事務員と繋がっていたおかげで、手伝いに来てもらえることになり、私は多いに助かった。

こういうこともやはり大事だよな、と思った次第。

辞める時

介護事業所を退職する職員の態度は、以下の3パターンに分類することができる。

1. 周囲の職員や利用者さんに与える不利益を極力抑えるように努める

2. 自分が辞めた後については、誰がどうなろうと無関心

3. 周囲の職員や利用者さんがなるべく不利益を被ることを願う

3に当てはまるのはごく少数だといいのだが、実のところそうでもない。かなりの多数である。そしてこれは特に性格の悪い人間だけに限ったことでもないのだ。
むしろ人としてはごく自然な心理であるとさえ思う。

つまり、自分が退職してしまった後に、周囲の職員が今よりも良い思いをするようであれば、自分の退職するという選択が誤っていたかのように感じられてしまう。
「あの時に辞めるなんて惜しいことをした」とは誰も思いたくない。

また利用者さんに何も影響がなければ、その施設における自分の存在価値も、それだけ小さなものだったと思い知らされることになる。
「別に自分などいなくなっても誰も困らないのだ」という真実を突き付けられるのは避けたい。

だから、周りの人間が困れば困るほど嬉しいわけだ。そのために、自分以外の職員も一緒に辞めさせようと画策したりする。そのために、この時とばかりに不満をぶちまけたりもする。

これは残念ながら人間の本性の一部なので、そうした心理を責めようとは思わない。
ただ、実際に行動に移してしまうという、理性のなさ、知能の低さを軽蔑するだけだ。

もちろん、1のように思う者もいる。そういう職員が辞めていくのを目にするのは辛いものである。だが幸いにも(?)、そんなことはそう多くはなかったりする。

今日はあまりに当たり前過ぎることを書いてしまったかな?

私の仕事?

私は割と、求められた仕事は文句を言わずに引き受ける方であると思っている。頼られるのはまんざら悪い気はしない。

しかし、以前、うちの経営者に「お前は何か仕事を依頼されると『それって俺がやるんですか?』と言うらしいな」と言われたことがある。仕事を依頼されると嫌な顔をする、というわけだ。
私は全く身に覚えがなく驚いたが、後に気付いた。私は「他にもっと適任者がいるだろうから」と謙虚な意味で、そういう言い回しをすることがある。
誤解されたことは仕方がない。経営者に告げ口した人間が、私という人間をそう見ていたことは私自身のせいでもある。

およそ介護事業所での仕事は、医療行為と調理、それに繕い物以外は、私が自分でやった方が早い。しかし、だからと言って、何でも引き受ければ良いというものでもない。それでは、周りの職員が育っていかないことだってある。

そうは言っても、私が他人に仕事を割り振るのが苦手なのも確かだ。全く困ったものである。

智に働けば角が立つ

山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

言うまでもなく夏目漱石の『草枕』の冒頭である。非常に有名なので、知らないという人はいないだろう。
特に組織の中で働く者は皆、こう実感しているだろうと思う。介護の仕事も同じである。

例えば、時間外労働について。
どうするのが正しいのかは、全くもって明瞭である。時間外労働などしなくて済むように自己管理をきちんとし、本来の業務外のことを同僚に頼まれても断る。上司から命令されたのであれば、時間外労働手当の支給を当然に要求し、拒否されれば証拠を揃えて労基署へ駆け込めばいい。それだけの話である。その程度のことは誰にでも分かる。
それでも、そんな態度を取ることができる者は非常に少ないだろう。そんなことをしていては周囲と衝突し続け、常に転職と争議を繰り返すことになるのは目に見えている。

これは他のことにも当てはまる。例えばコンプライアンスなども。

そこで「正しいこと」から身を引いて、周囲の職員や利用者さんのことを一番に考えると、際限なく仕事が増え、その濁流に押し流されることになる。
これは自分にとっても、また長い目で見れば事業所全体にとっても良いことではないにもかかわらず。

それでは……と、自分の中に確固たる信念を持ち、それに従って行動するようにしたとする。しかしそれを全ての職員間で共有することなどできるはずもないので、結局のところは窮屈な思いをするわけだ。

私はこの業界に入ってからというもの、常に流され続けている。これが私のダメなところなんだろう。

経営者の駐車場所

皆さんの事業所の経営者や施設長は、自分の車をどこに停めているだろうか。

駐車場は外来者用と職員用に分かれているのが普通だろう。であれば、理事長であろうが、車は職員用区画に停めるべきだ。
ホテルやレストランなどのサービス業はもちろん、あらゆる営業店舗で、店の真ん前の駐車場所を、利用客用でなくオーナーや店長用に確保している例などあるだろうか?

しかし福祉業界では、理事長や施設長が自らの車を、本来利用者用である場所に停めていることが多いように思う。
それで利用者本位を掲げているわけだ。「職員よりも顧客である利用者優先、ただし自分は別」という特権意識が垣間見えるというものだろう。
私が以前に所属していた法人の理事長がまさにそうだった。

私が最初に勤めた老健の施設長医師は、着任後間もなく、「僕も職員用駐車場に車を置きたいんだけど」と言ってきた。玄関の目の前の場所に停めてくださいと、事務からお願いしていたからだ。医師にしては珍しく(失礼)常識的な人だったと言えよう。
しかし、その場所に停めておいてもらっていると、事務室の窓から車が見えるため、施設長が今施設にいるのかどうかが確認できるというという理由から、その場所を使い続けて欲しいとお願いした。これも今にして思えば、我々の判断は間違っていたと思っている。

経営者が特権意識を持っていると、職員や、時には利用者もそれを見抜く。車の駐車場所など些細なことだが、それは他にも表れてくるものではないだろうか。