代替不可能性

組織から見た個人の価値は、この代替不可能性という言葉に置き換えられる。結局のところ、「その人の替わりを見つけることの難しさ」が、給与などの処遇を決定することとなる。
端的に言えば、「いなくなったらどのくらい困るか」ということだ。

一般に看護職員の方が介護職員よりも給与が高いのは、まさにこのためである。求人をかけても集まりにくく、また人員配置基準をキープしたり、加算を算定するための必要性も高い。
行うべき業務内容から給与が決まっているわけではない。

ただ、日本の雇用についての慣例は、この代替不可能性を必ずしも肯定していない。年功序列制のように。企業でも役所でも、能力ではなく、勤続こそが出世の道であった。
これは、個人の視点からは有り難いことである。己の能力や成果に関わらず、将来が保障されているのだから。しかし組織の視点からは、無能な人間に不必要な給与を支払っていることにもなる。
ただ、かつて国民が皆、夢を抱いて仕事に邁進していた高度成長期とは違い、これでは国際競争には勝てないのも道理だと思うが、まあこれは余談。

しかし、現在の介護業界は。
介護職員1名の替わりを見つけることさえ容易ではない。いわば極端な売り手市場になることで代替不可能性が高まっているのだが、だからと言って給与が上がるわけではないのがユニークなところだ。この理由は、

1. 介護報酬が変わらない以上、給与も上げることができない
2. 替わりが見つけにくいからと言って、誰にでもできる程度の仕事に高い給与は払えないという事実は揺らがない

の2面性がある。

これを打破するには、他の人間にはできない(唯一無二の特技を持っている者などいるわけがないので、正確には「替わりの人間が見つけにくい」)技能を身につけるしかない。それをアピールすることができれば、己の代替不可能性を高め、給与も上げさせることができるはずである。

最低限求められていることをするだけでは、「あなたが必要」などと思ってもらえないのは、当たり前の話だ。

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