侮辱的な口汚い言葉で他人を罵ること

スーザン・フォワード『毒になる親 一生苦しむ子供』という、心理的な児童虐待についての本がある。

一部抜粋しよう。なお原著からではなく、ネット上にあったものをそのまま転記させていただいていることを断っておく。

残酷で侮辱的な口汚い言葉で子供を傷つけながら、「お前をもっとましな人間にするためだ」とか「世の中は厳しいんだ。それに耐えられる人間になるよう教えているんだ」などといって正当化する親は多い。こういう親は、実際には虐待しているのに、表向き「教えているのだ」という仮面をかぶっているため、被害者の子供は大人になってもその有害性がなかなかわからない。

なかには、とにかく子供をけなしてばかりいる親がいる。子供は「怒られている自分が悪いのだろう」とは感じても、やはりすっきりした気分にはなれない。後ろめたい気持ちに反発が混ざり合い、自分が何かをちゃんとやれていると思えることがなく、これでは自信など生まれるわけがない。
何かがうまくできたと思った時でも、ひとことのけなしでその気持ちはしぼんでしまう。自信を育てなければならない大切な時期に、励まされるのではなくけなされるのでは、自信の芽は摘まれてしまうのである。だが親は、「わからせてやるため」という理由をつける。

こういう親は、実は自分に能力がないことに対してフラストレーションを抱えている。なかには子供をけなすことで自分の優越性を示そうとする親もいるが、そういう親は、そのような行動をすることによって自信のない自分を隠しているのである。彼らは子供をクラスメートの前でこき下ろして恥ずかしい思いをさせるようなことも平気で行う。思春期の少年少女にとって、それはもっとも恐ろしいことである。だが「毒になる親」は、そんな子供の気持ちより自分の気持ちのほうが常に大事である。

以上はもちろん、子供に対しての親の行動と心理について書かれている。しかしこれは成人同士におけるやりとりにおいても、同じことが言えるのではないか。

一人の人間が、他の人間を、もっともらしい理由をつけて罵ったとする。そこで相手が、冷静に自分を見つめ直して奮起する、そうした場合ももちろんあるだろう。もしも、既に充分、自分に自信が持てている人間であれば。
しかし自分に自信が持てていなければどうなるか。「後ろめたい気持ちに反発が混ざり合い、自分が何かをちゃんとやれていると思えることがなく、これでは自信など生まれるわけがない。 」のである。
大人であれば、子供ほどには傷つくことはないかもしれない。しかし、全く傷つくことはないとか、あるいは傷ついても仕方がないとか、そんなことが言えるだろうか。

つまり、相手が自分に自信が持てていなかった場合、罵った者は相手の成長の芽を土足で踏み潰しているのだ。

そんなことをする権利が一体誰にあろう?

相手を貶して自分の優越性を示そうとするのは、自信のない自分を隠そうとするからだ、というのも納得できる。自信があれば、そんなことをする必要はない。

ところで、以下はこれまでに3~400人くらいの介護職員と一緒に働いてきた上での私の経験則だが、こういうもっともらしい理由をつけて他人を罵るタイプの人間は、利用者虐待にも走りやすい(エントリ「虐待に至る病」で書いた第2のタイプ)。
普段は「利用者のために」尽力する、熱意ある職員なのだが、自分の努力が利用者に受け容れられなかった場合、たとえ直接叩いたりはしなくとも、報復的な行動を取るのである。遠回しに、ちくちくと。

そしてそれは、同僚や部下である他の職員に対しても同じなのだ。相手の考えを認めず、自分に賛同しない者には陰で報復する。こういうタイプの人間が管理職になった場合、部下の出世は管理職である自分に服従するかという一点にかけられる。自分の指示に従わない点があれば、たとえその他にどれだけの長所があっても、その職員を決して認めない。

そういう人間が、大手を振って歩いているのが今の介護業界だ。

……とまあ、そんなことを、今日も介護関係のサイトやブログ、掲示板の定点観測をしていて思ったのだった。

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