社会保障の充実と経済成長

社会保障の充実と経済成長は両立しないとよく言われる。
前者のためには課税によって国民や企業の負担を増やさねばならないが、これが後者を阻害するというわけだ。

ただ、例えばスウェーデンなどは高福祉と経済成長を両立させているとされ(一例)、最近では一概にそうは言えないとも考えられている。
しかし一方で、先日オランダ国王が「20世紀型の福祉国家は持続不可能であり、国民の自助努力を求める」と演説したという報道もあり、両立させるのはやはり容易ではないのだろう。

低福祉で、国民の自助努力を求める国の代表は何と言ってもアメリカである。日本はそれでも国民皆保険などを実現させ保ってきてはいるが、高度成長期はそれでうまくいっていたものの、経済成長率が低下し、しかも高齢化が進み、さらには雇用や家族の形が多様化するに伴って、社会保障が不充分になってきた。

税金が少なければ、その分自助努力が求められるのは当然である。
そして税が少ないということは、可処分所得すなわち個人が自由に市場内で購買活動を行える分が多くなるわけで、つまり売れる商品やサービスを生み出せる者、自身の価値を創造できる者は、収入を増やすことができる。これは同時に収入を増やせない者を生み出すことでもあるので、つまりは格差社会になる。
格差の是正は、単純に累進課税によって行えば勤労意欲を殺いでしまうので、簡単には行えない。アメリカも日本も、なるべくして格差社会になっているのだ。

経済再生を強く押し出していた自民党に投票した人々は、介護予防の市町村事業への移行や、介護サービスにおける自己負担割合の見直しなど、社会保障費が締め付けられていく過程を目の当たりにして、どう思っているのだろう。具体的な方法の如何はともかく、社会保障の空疎化は予想できたことだろうから。

そのことに善し悪しはない。競争に勝たなければ豊かな暮らしを営めない、自助を重んじる社会を選ぶのも、富豪にはなれない代わりに格差がなく、互いに助け合う社会を選択するのも、各々の国民に委ねられている。日本は前者であるというだけの話だ。

私は、前者よりも後者の方が好きだ。
どんな生まれであっても、どんな個性を持っていても、その人なりに努力すれば豊かな生活を営め、困った時には互いに助け合い、将来への不安を抱かずに暮らしていける社会の方が。

しかしこれは、今の日本においては、ただの負け犬の遠吠えである。

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