お風呂に入る

「お風呂に入る」という言葉が指し示している行為は、具体的にはどこからどこまでを指すのだろうか?

最近、お風呂を拒否される認知症の方がいる。以前はそんなことはなく、むしろお好きだったのだが、いつの頃からか「入らないよ」と言われるようになってしまった。

寒がりな方なので、「温まりますよ」などと誘ってみるのだが効果なし。入りたくない理由を伺うと、「具合が悪いんだ」などと言われる。具体的にどこかが痛いとか、怠いとか、めまいや吐き気がするとかいうこともないようなので、おそらくは面倒なのだろう。

日を改めることで入っていただけるのならもちろんそれで構わないのだが、毎日声をかけ続けても入ってもらえないとなると、訴えにそのまま従い続けているわけにもいかなくなる。

そこで、「わかりました。お風呂は入らなくてもいいですよ。でもずっと同じ服着てるから、着替えだけしましょう」と脱衣所に誘導。「じゃあ脱ぎましょう」と服を脱がせ、「さあ、さっとシャワーだけ浴びましょうね」と浴室へ。

「お風呂なんて入らないよ!」とそこでまた言われるので、「わかってます、お風呂は入らなくてもいいですよ。だからシャワーだけ。ほら、このまま裸でいると寒いですよ。温かいシャワーをかけますから……」とシャワー浴を始める。

つまり私の言い分としては、「お風呂に入る」という言葉は「湯船に浸かる」という意味で使っているのであって、シャワーだけならお風呂に入ってもらうことにはならない、つまりその方を騙しているわけではない。
と、つまりはこういうことなのだが、これは苦しい言い訳だろうか? 私はその方を騙してお風呂に入れているのだろうか?

ちなみにその後どうなるのかというと、シャワーを頭からかけると「早くやめとくれ! もういいよ!!」と言われるので、「わかりました、もうやめます」と答えてシャワーを止め、シャンプーで洗い始める。
そこで間もなく再び、「やめとくれって!」と言われるので、「わかりました、やめますね」と言って、再びシャワーを頭からかける……という調子。つまり「やめる」という言葉を、入浴を中止するという意味ではなく、お湯をかけたり、シャンプーしたりといった一つ一つの行為を終えるという意味に置き換えているわけだ。これもズルいだろうか?

その後は、湯船には入られることもあれば、入られないこともある。そこは無理強いはしない。
そして上がった後は、特に機嫌が悪いなどと言うことはない。やっぱり単に面倒だったのだな、と思う。

見方によっては確かに騙している。だが、このように言葉の持つ曖昧さをうまく使ったっていいじゃないの、と思うのだった。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中