【書評】葉真中顕 『ロスト・ケア』

私は、介護を扱った小説や漫画、映画などのフィクションにはあまり惹かれない。読もう、観ようという気が起きないのだ。

理由は自分でもはっきりしないのだが、フィクションを愉しむことは現実からの逃避なので、愉しんでいる間にまで仕事のことを思い出させられるのは御免だ、という気持ちがあるからではないかと思う。
もしくは、自分が全く知らない世界が描かれていれば、たとえ事実と違うことがあっても気が付かずに読み進められるが、なまじ知った世界だと、些細な過ちが気になってしまって没入できなくなるからなのか。

とは言うものの、私はフィクションにはリアリティなど求めていない。奇想すなわち「よくこんなこと思いついたなあ」と思えることがほぼ全てだと言っても良い。だから読むのはミステリが多い。

しかしこの本を手に取った動機は、ミステリだから、フィクションとして愉しめそうだからと言うよりも、仕事の一環のようなものだと言った方が正しいかもしれない。
介護が、世間から注目されるエンタテインメント作品(何しろ賞を受賞してのデビューなのだから)の中で、どのように採り上げられているのかが気になった、とでも言えばよいか。

さて、一読しての感想は、「傑作だ」というものだった。

日本の抱える社会問題としての介護については、業界に身を置く人間としてはごく当たり前のことしか述べられていないものの、一般の人にはそうとは言えまい。エンタテインメント作品において、家族介護者、介護従事者、そして第三者のそれぞれの視点からこれだけ「介護」を見つめたものは例がないと思う。

また黄金律すなわち「自分が他人にしてもらいたいと思うことを、他人にもしなさい」が、これだけ犯罪にぴたりと嵌る、つまり善行と罪とを一致させられるのは介護という問題をおいて他にはないだろうし、そこに着目して犯罪小説を書いた作者の発想力には拍手を送りたい。

ただ、気になった点もないわけではない。

確かに日本の介護保険制度は優れた制度ではないし、介護を取り巻く現状と今後の予測は明るくはない。しかし犯人に殺人へと向かわせることとなったような状況でも、救いの手が全くないということはない。家族が自らに強い呪縛をかけさえしなければ。
犯人も介護業界に精通しているのなら、死だけに救いを求めるというのは、いささか知識不足の誹りを免れまい。
ケアマネは何をしているのだろうかと思ってしまう。そう、この物語には相談援助者が存在しない。別に主たる登場人物にする必要はないが、影さえ全く見えないのは、今の日本の介護を描く上ではやはり不自然である。

また、質の高い認知症ケアを受け、自らの望むような最期をと考えた時には、お金さえあれば高級有料老人ホームがベストとは全く言えない。この点は読者に誤解して欲しくないと思う。
確かに、認知症がないか、あっても軽度で、ゆとりのある豪勢な生活をと思えば、高級有料老人ホームに勝るところはない。しかし認知症や不治の病(多くは癌だ、もちろん)が進行した状態であっても安心して過ごせる環境を提供するのは、豪奢な建物でも金で買えるサービスでもなく、人である。
人というのはつまり家族と、そして介護・看護スタッフだ。高級有料老人ホームだから、スタッフも経験豊富で、志も心もある、というわけではないのである。このことは介護従事者として譲れない。

また、登場する認知症状も少し違和感がある。まだらに出ている状態でアレはないよな、という感じだ。しかし人間に関することで絶対ということなどないのだし、私が細かすぎるのかもしれないとは思う。

最期に、ミステリとして評するならば。
(以下、本の結末部分に触れています。つまりネタバレしていますので、文字色を白にしてそのままでは読めないようにしておきます。既に読んだ方か、結末を知ってしまっても構わないという方のみ、マウスでドラッグするなどして読んでください。)

最初から叙述トリック臭が漂いまくっている。
団が真犯人であるならば、<彼>などという表記は必要ないはずなので、ということは真犯人は団ではないのだな、と容易に想像がつく。そうなると真犯人が誰かは目星がついてしまう。途中で「この人物が真犯人だったらちょっとアンフェアだよな」と思っていたら、実際にその通りになってしまった。一人称ではないのだから、書くべきことを省略してもアンフェアとは言えない、ということにはならないだろう。

そもそも叙述トリックは、作者が真相を明かすことで、読者がそれまで読みながら築いてきた作品世界を、一気に反転させることで最大の効果を生む。しかしこの作品の叙述トリックはそこまでいっていない。反転までいかず、ほんのちょっとズレるだけ。しかも叙述トリックがあるであろうことは最初からバレバレだ。いっそ叙述トリックなど使わず、普通のフーダニットにした方が良かったのではないか。
だが、これはミステリ好きでなければ感じないことで、そうでない読者は単純に驚けるのかもしれないとも思うが。

(ネタバレはここで終了です。)

とまあ、いささかケチをつけてしまったが、それでも介護の現場にいる者としては、やはり「よくぞ書いてくれた!」と思える。とりわけコムスン事件について、その中にいた者が描かれているのは評価したい。
私の知人にも、コムスンでサービス提供責任者をしていた人がいる。どんな困難ケースでも、どんな僻地でも決してサービス提供を断らず、早朝から深夜まで働き詰めであった。
彼女に限らず、現場で真面目に頑張っていた人間は多かったのに、社会的には悪とされてしまった。

この作品で描かれているのは、現代の日本を生きる人であれば、一度は考えてみなければならない問題であることは確かだ。
介護業界人には今さらと思えることかもしれないが、それでもやはり、エンタテインメント作品としては素晴らしいと思った。

(評価:★★★★☆)

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