神を求める心

フランスの文学者、アナトール・フランスの『エピクロスの園』にこのような箴言がある。
(記憶だけで書いているので、句読点など微妙に違っているかもしれない。書庫に探しに行くのも面倒なのでご勘弁を。)

人生においては、偶然というものを考慮に入れなければならない。偶然とは、つまるところ、神である。

例えば人は不幸に見舞われた時に、そこに理由を求める。「いったい自分が何をしたというのか?」と。
そこに答はない。敢えて言うならば「偶然」である。
しかしそれでは納得ができない。全ての物事には理由があるべきだ。そこで人は神を必要とする。「偶然」を「神の意思」に置き換えるわけだ。

神とは、自らの理解の及ばぬ領域に、理由を与えてくれる存在なのである。
進化論以前、全ての生物は創造主たる神によって創られたと考えられたように。

現在では、神を信じる人は少ない。しかし理由を求める心には変わりがない。理由が見つからずに苦悩している時、断定的な言葉でそれを示してくれる者が現れると、容易に惹きつけられる。
その言葉を受け容れれば、自分の苦悩を終わらせることができるから。

神は今でも必要とされている存在なのである。

そして、答えを示す者も神に囚われている。自らの言葉に感銘を受ける者が多いという事実は、自らの言葉が正しいからであるという錯覚を生じさせる。

私の言うことは正しい。私のすることは正しい。すなわち、私は何をしても良い。

だから私は、自らの信念を大声で説く者など胡散臭いとしか思わないし、自分もそれをしようとは思わない。
私は宗教を必要としていない。少なくとも、今までのところは。

しかしそれは同時に、既に一つの大きな宗教を持っているということでもある。
ヒヨコ教という、自分だけの宗教を。

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