先日のエントリ「慣れと役割、そしてサービスの質の低下」では、「利用者さんの声を真摯に受け止めて聞いてあげたい」一方で、「毎回毎回全てまともに取り合っていたら、こちらの神経がもたない」「利用者さんの希望をそのまま受け入れてあげるわけにはいかない」という介護職員のアンビバレントな(昔流行ったなあ、この言葉)感情について書いた。

良いサービスを行えない介護職員は、必ずしも心がないのではない。自らの役割を果たそうとし、かつ利用者さんの訴えに「慣れ」てしまうことによって、心が鈍麻するのである。

この過程では、環境も大きく影響する。上司や先輩職員が既に鈍麻してしまった者ばかりであれば、初心を保ち続け、成長するのは容易ではないだろう。しかし、適切な指導を受けたり、元々の適性に優れていれば、鈍麻を最小限に抑えて働き続けることもできる。

初心を忘れず、なおかつ知識を増やし、介護職員として成長していくためにはどうすればいいのか。
この「心」を精神論でなく技術論で語るのが、このエントリ、そしてマイクロケアの目的である。

まずは知ることである。慣れと役割の履き違えがサービスを低下させていくことを。
そして、以下のルールを実行する。

1. 利用者さんの意思に反して何かを行わない
利用者さんにしてもらいたいことがある時には、利用者さん自らがやろうという気持ちになっていただくことが望ましい。
「お風呂? 嫌だ。入らないよ」から、「そうだね、あんまり気が進まないけど入らないとね。入っちゃえば気持ちいいし」というように。
ここで究極の理想を述べれば、何らかの形で他者とコミュニケーションが取れる全ての方は、他者からの働きかけによって、自らやろうという意思を持っていただくことが可能なはずである。それができないのは、介護職員としてまだ未熟だからだ。

もちろん、これはあくまで理想であって、実際には、どんな方にも全く拒否されることなく誘導できる職員など一人もいない。それでも我々は理想を目指していくべきだし、拒否されることがあれば、ではどうしたらうまくいくのかを考え続けなければならない。
時には強引にやってもらわなければならないこともあるだろう。そこで、「拒否されたからって、やってもらわないわけにはいかないんだからしょうがない」と諦めるのではなく、「自分の言葉のかけ方はまだまだ未熟だ」と反省した上で、「では何と声をかけたら、自分から入ろうという気持ちになってもらえるだろうか」と、次につながるアイデアを必ず考える。

毎回拒否されてしまうたびに「俺はダメな介護職員だ……」と落ち込む必要はない。それでは仕事を続けていくことがストレスになってしまう。現在の自分の能力を素直に認めた上で、理想を目指す向上心を忘れなければ良いのである。

2. 利用者さんの願いは必ず叶える
これも理想を言えば、ということである。共同生活である以上ルールは必要だし、介護保険サービスであれば法令に反するわけにはいかない。それにそもそも「帰りたい」とサービス利用を拒否されて、そのままそれを叶えることはできない。
ただ、だからと言って端から諦めてしまうのはよろしくない。何らかの形で実現できる道を考えるべきだし、そのまま実現するか、あるいは代替手段さえ提示できないのは、これも自分が援助者として未熟であるためだと反省し、これも次に繋がる実現方法を考える。
何も、全て自分でやってあげなければならないということではない。上司、ケアマネ、相談員に話を持っていき、託してしまっても良いのだ。
とにかく、「それは無理です」と決めつけてしまわないこと。

3. 利用者さんを待たせない
「そんなことを言われても、マンツーマンで援助をしているのでなければ、100%待たせないのは無理だ」と思われるだろう。
その通りである。

肝心なのは、利用者さんに「無視されている」「放っておかれている」と感じさせないことである。具体的には、「待っていてください」と絶対に言わないことだ。

もし手が離せない時に「ちょっと、お兄さん」と呼ばれた場合は、以下のようにすればよい。
・ 3分以内に行けるのなら、「はい、すぐ伺います」と答え、現在やっていることをそのまま済ませる。ただ、最低でも立ち止まって、相手の顔を見て言うこと。歩きながら言うのは厳禁である。
・ 5分程度かかるのなら「5分お時間をください。すぐに戻ってきます」と答える。
・ それ以上かかるのなら、他の職員を行かせる。もしも自分でなければならない用事であれば、「できるだけ早く伺います」で良い。

結局待たせているわけだが、「待つ」という言葉を使わないところがポイントである。
たとえ相手が認知症の方で、すぐに忘れてしまわれるとしても同じだ。「待っていてください」と言われて不快に思わない人はいない。自分がレストランなどに行って、店員に声をかけた時のことを想像してみて欲しい。
待たせることは、利用者さんを無視する、あるいは放っておくことである。これが習慣化すると、サービスは確実に低下する。

4. 利用者さんの行為を禁止したり叱らない
認知症ケアでよく言われていることだ。
これらの言葉を職員が発する目的は、利用者さんを管理することである。事業所として、そして職員個人としての都合に基づく管理が望ましくないのは当然として、では純粋に利用者さん本人のためを思ってのことであれば良いのかと言うと、それも同じだ。言葉で禁止したり叱ってはならない。

例えば、安定した歩行ができないのに車いすから立って歩いてしまう方に、「立っちゃダメですよ」と言うのは、接遇上好ましくないだけでなく、効果もない。立ってはダメと言われて、立つことをやめる認知症の方がいるだろうか?
それよりは、「これ(車いす)を使った方が楽ですよ。どうぞ」と言った方が良い。もしも状況的に、座っていていただかなければならないとしたら、「今ご飯をお出ししますね」「お茶をお持ちしますね」など、自分がこれからすることを伝えた上で、さりげなく(強引はダメ)、座っていただけばいい。

利用者さんの体を椅子に座らせるという行為を行うのに、「立っちゃダメ」と言いながらであれば、それは利用者さんの行動を制限しているのに他ならない。しかし、「今お茶をお持ちしますね」と言いながらであれば、それはその後に続く「お茶を飲む」という活動の支援の一部にすることができる。
これは単に形式上だけの問題ではない。例え認知症の方で、何を言ってもすぐに忘れられるとしても、その時の感情はその後の行動に影響を及ぼす。

そもそも禁止したり叱ったりしてはならないというのは、その内容の正当性を問うているのではない。エントリ「慣れと役割、そしてサービスの質の低下」で書いたミルグラム実験が示しているように、こうした禁止・叱責行為は少しずつエスカレートしてしまうものだからである。
こうしたプロセスによって、人は誰でも虐待をしてしまう可能性があることを肝に銘じておく必要がある。

私の考える「心」とは、こういったところだ。現時点で思いつくのがこれ、ということなので、後々追加していくかもしれない。

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