慣れと役割、そしてサービスの質の低下

虐待や体罰といった問題がどのようにして起きるかという疑問に対して、最も単純な説明は、有名なミルグラム実験から導かれるものであろう。

ご存知の方も多いと思うが、一応簡単に説明する。これは1963年にアメリカの心理学者、ミルグラムにより行われたものだ。
教師役としての被験者に、生徒役のサクラが記憶課題に失敗した時に電気ショックを与えるように指示する。一回間違えるごとに電圧は上がっていき、サクラの反応も大きくなる。サクラは呻き、絶叫し、金切り声を上げ、挙句の果てには無反応になってしまう(これが連想させるのは死もしくは失神、あるいは人格の崩壊であろう。もちろん実際には電流は流れていないので、これらは全てサクラの演技なのであるが)。
この結果、多くの被験者が、電圧が最大になるまで実験を継続したという。

いくら指示されているとはいえ、激しく苦痛を訴えている生徒役にそれほど残酷なことを行える人が多いというのは、俄かには信じ難いことである。
倫理的な問題があるので、同様の実験を行って再検証するのは難しいが、それでもこの実験は確かに人間の一面を暴き出していると言えよう。

この実験の結果は、次の二つの面から説明されると思う。

1. 人間は、好ましくない行為をすることで自らが感じる不快な感情に慣れ、鈍化していく。
この実験は人間の持つ残虐性を明らかにしたと言うよりも、他人に苦痛を与えることに対する嫌悪感、そして良心の呵責は次第に弱まっていくことを示しているのではないか。

2. 人間の行為は、与えられた役割によって大きな影響を受ける。
例えば教師であれば、生徒に罰を与えるのも許容されるのである(現代では体罰は許されないが、特別な課題を科すといったような罰なら今も普通に行われているだろう)。

これが虐待や体罰を生み出すのだ。初めは言葉で叱るだけであっても、やがてその叱責は強くなっていき、直接の暴力となる。
幼児や児童、生徒を殴ったり蹴ったりといった行為を、いきなり行える人間はまずいないだろう。時間をかけ、少しずつエスカレートすることで、人はそのような残虐な行為を行ってしまうのだ。

さて、介護現場について考えてみよう。例えば、介護拒否のある利用者さんについて。
初めは、嫌がられていることをするのは職員にとって気持ちの良いものではない。しかし嫌がられるからといって全くオムツを替えないわけにも、食事や水分を摂ってもらわないわけにも、入浴や清拭を一切しないわけにもいかない。少しでも必要性を分かってもらえればと思って繰り返しご説明するものの、理解も記憶も難しいとなると、どうしても多かれ少なかれ無理強いすることとなってしまう。これを繰り返すと、職員は拒否されながらも行うことに、自らの心の痛みを感じなくなっていく。
これは職員の自我を守るためには必要なことでもある。慣れていかなければ、他人が嫌がることでもしなければならない仕事など続けられない。
それが即座に虐待になるということはないだろう。しかし感覚の鈍化は、その他の事柄にも般化していくのだ。痛みの訴え、空腹の訴え、寂しさの訴え……こうしたことには慣れてしまうのは本来許されない。
このジレンマにいかに対処するのか、それは介護職員にとって非常に大きな問題である。

また、介護サービス事業所にとって望ましくない行動(歩けないのに立ってしまう、建物から出て行こうとするなど)をされる利用者さんに対し、介護職員としての役割を果たそうとするあまり、「○○しないでくださいね」などと禁止してしまうことがある。
望ましくない行動が現れることは、介護職員にとって、自らの能力を否定されているような気分になるものなのだ。自分が利用者さんをうまく扱えないから帰ろうとされてしまうのだ、というように。
これは仕事熱心な人ほど陥りやすい。何とかしたいと願うあまり、言葉や態度は強くなり、エスカレートした結果、虐待(直接の暴力など狭義のものだけではなく、広義のもの、例えば向精神薬の濫用や不適切な身体拘束なども含める)へと繋がっていく。

虐待とは、また極端な話をしているように聞こえるかもしれない。
しかしサービスの質の低下の行きつく先は、広義の虐待である。人権の侵害と言ってもいいだろう。

慣れ、そして役割。
これらは介護職員にとって必要なものではあるが、同時に、サービスの質を低下させていく大きな原因ともなってしまうのである。
これに対処することこそが、サービスの質を下げずに、さらなる向上を図っていくこととなる。

しかし、例えば利用者さんへの言葉遣いなど表面的なことに囚われていると、言葉遣いは綺麗なままで心が崩れていくことになる。これではサービスの質の低下は止められない。
むしろ大切なのは言葉の中身である。利用者さんの訴えに鈍くなってはいないか、叱ってはいないか。

介護業務に就いたことがない人が、介護技術には口を挟めないため、自分にも口を出せる唯一のこととして接遇にうるさくなる、というのはよくある話である。そういう人はそれで仕方がないと思うが、介護業務の経験がある人は、さらに広い視点から見ることが必要である。

もちろん、接遇などどうでも良いと言っているわけではない。顧客サービスとしての基本は必要である。だが、例外を認めないほど厳格に求められるべきではない。
そしてそれ以上に、慣れ、そして役割の問題は重要なのである。

以下、後日のエントリに続く。マイクロケアの1つとしてまとめてみるつもりだ。

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