何が問題か

始めに言っておくが、これから書くことは愚痴でも不満でもない。

私と周囲の職員では、認知症に関しての基準が違っている気がする。
私が軽度認知機能障害くらいにしか考えていない方でも、皆は認知症と思っているようだ。これはどちらが正しい、という問題ではない。大切なのは判断基準ではなく、実際に行う支援なのだから。

そして、認知症による行動に対して、解決すべき問題とみなすかどうかにも少々違いがあるようだ。

頻繁に「帰ります」と玄関に向かわれる方がいる。
職員にとっては、気づかないうちに施設から出て行かれて事故になっては一大事だし、常に気をかけていなければいけないという点で、「問題行動」である。しかし私は、認知症のため現在の状況が分からないのであれば帰りたいと思うのも当然のことで、つまりは「認知症というのはそういうもの」だと思っている。皆が皆帰りたいと訴えるわけではないが、だからと言って特別視すべきことではないと。
「そういうものだから仕方がない」と諦めるしかない、ということではない。ご本人さんに少しでも穏やかに過ごしてもらうための努力が必要なのは当然だが、何としても早急に手を打つべきだとは思っていない。だから薬物療法に対しても消極的である(もちろん否定はしない)。

また、認知症というのがそういうものである以上、日に何度も帰ろうと玄関に向かわれている現在は、適切な介護を受けられていない状態であると思っている。
しかし、だからと言って、そのことが即ち、うちの施設のケアの質、量の悪さを表しているわけではないだろう。

残念ながら、現在の我が国で行われているケアのレベルでは、その方が必要としている援助量が多過ぎて、適切な介護を提供するのはほとんど無理ということがある。では今は無理だが将来は可能になるかというと、それも確実ではないだろう。少子高齢化はますます進み、しかも認知症の方は増えていくと予想されている。人手が増えていくとは考えにくい。

むしろうちの施設は、その方の帰ろうとする行動が維持されているだけ、よくやっている方だと思っている。
どういうことか。

この方が、例えば老健の認知症専用棟に入ったとする。
認知症専用棟は、何らかの手段で施錠されているのが普通である。鍵のかかった扉で他の区画と隔離されていたり、エレベータが暗証番号を入力しないと使えなかったり。

認知症の方が、出て行こうとしてこれらに出くわすとどうなるか。
「開かないなら諦めよう」ときれいさっぱり忘れて穏やかな日常に戻っていく、ということなどまずあり得ない。出て行きたいのに出て行けない日々が続くと、その方の辿る道は以下の3つのいずれかとなる。

1. 帰りたいという願いを抱かなくなる程度にまで、自らの認知症を悪化させる(多数の方がこうなる)
2. 興奮が強められた結果、向精神薬の投与により鎮静化される(少数の方がこうなる)
3. 病院の精神科へ移る(ごく少数の方がこうなる)

この三択だ。
良い方向、つまり施設生活に適応する方向に気持ちが変化することなど、まずないのである。

私は認知症専門棟に勤めていたことがあるので、こうした経過を辿る方を何人も見てきた。その結果、帰りたいという叶わぬ思いを抱き続けていても、より悪化して帰りたいと言わなくなるよりも、いいではないかと思うのだ。

うちの施設は玄関もどこも施錠しないので職員は苦労し続けているが、その結果、何年もの間、帰りたいという訴えが変わらずにいる。それは叶わぬ願いを抱き続けているという意味で可哀想なことではあるが、そうしたことも考えられなくなるほどに、ぼうっとした状態で一日を過ごすよりはいい。

もちろん支援は必要だ。しかし帰りたいという訴えを表に出す方のみが支援を必要としているのではない。
職員の手がかかるから、それは解決すべきであるという視点は、プロフェッショナルではない。

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