社会福祉用語

最近、ようやく介護福祉士国家試験のための試験勉強を始めた。
間もなく、以前に社会福祉士の試験勉強をしていた時と同じ不満がふつふつと沸き起こってきた。今日はそれについて書こう。

普通、学問では、用語よりも先に、まず理論そのものが重要である。
一例を挙げると、フロイトの提唱した有名な「エディプス・コンプレックス」は、男児は母親を愛し父親をライバル視するという理論にそのユニークさ(「独自の」「個性的な」など広義。以下同じ)があるわけで、誰もが認めるごく当たり前のことに突飛な名前を付けたわけでは決してない。

社会福祉学は、大して深い意味はない概念に、もっともらしい用語を付けるのが大好きである。
例えば、「アウトリーチ」という用語がある。その大まかな意味は、援助が必要な方に対して援助者の方から手を差し伸べるといったようなことだ。
これを「アウトリーチ」と呼ぶことは別に構わない。しかし、言葉の概念自体にユニークさはないので、学習においてこの言葉を覚えさせる意義が分からない。「援助が必要な方に対して援助者の方から手を差し伸べることをアウトリーチという」という一文の正誤を答えさせる問題に、いったい何の意義があるというのだろう?
極端な話、アウトリーチという用語を知っていても知らなくても、時には援助者の方から手を差し伸べることも必要だという当たり前のことを認識していれば、それで何の不自由もないように思える。

社会福祉には、こうした言葉の由来や定義もはっきりせず、存在意義の分からない用語がたくさんある(エントリ「自己覚知」など)。
まるでこうした学術用語を作り、駆使することで、あたかも立派な学問であると見せかけようとしているかのように。

だから、学習していても面白くない。その言葉を知っているからどうだというのかと思うことの連続だからである。
少なくとも私にとっては、学ぶことの面白さは、その学問の持つユニークさに触れることにあるのであって、業界用語を暗記することにはない。

……って、ダメだこれは。
単に勉強に身が入らない言い訳をしてるだけだ。
不満があるなら、こうした知識を求める福祉の資格など取らなければいいわけで。

さーて勉強しよう。

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