2012年のまとめ

年末ということで、今年始めに立てた目標についてモニタリングしてみよう。

1. 新規事業をスタート。
⇒この話は残念ながら立ち消えとなってしまった……
当時とはまったく別の話だが、現在別の新規事業の話が進行している。が、そこに私がどう関わっていくのかはまだ未定……

2. 地域との連携を前進させる。
⇒進んではいないが、全く変わりがない、ということでもない。地域の行事にも参加したし……

3. 保険者に報告義務の生じる事故を0に。
⇒新年早々に1つ発生してしまった。それ以降は起きていないが、目標を達成できなかったことに変わりはない。

4. ケアプラン更新の遅れをなくす。
⇒全くダメだった。
現場に入る日数は増え、その時々での仕事も入り、月の1/3は月次業務に追われ……どうしても状態に変化のない方のケアプラン更新は後回しになってしまう。

5. ブログで1日1エントリを継続。
⇒これもダメだった。10日ほど更新を落としてしまった。

6. ブログのアクセスカウンタ(ページビューではなくユニークアクセス数、つまり1人につき1日1回だけカウントされる数字)を40,000に。
⇒これは余裕でクリア。当初の目標設定を間違えたかな……

7. Twitterでフォロワー数を100名に。
⇒達成せず。
相変わらず、個人の方にはこちらからフォローすることは全くないので、フォローバックが一切ない状態だとこんなものだということか。ツイート内容に魅力がないというのが最大の理由ではあるけれども。

ということで、ほとんど達成できていないという現状。どう言い訳しようと、これが今の私の実力である。
これを踏まえて新年にはまた一年の目標を立てよう。
また、昨年に続き、ブログのデザインを大晦日限定のものに変えてみた。明日には正月バージョンになる予定。

最後に、こんな拙いブログをご覧いただきましてありがとうございます。
それでは、よいお年を!

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介護職員を正当に評価するためには

介護福祉士の試験勉強をしていて思う。これでは介護福祉士資格が、その者の介護職員としての能力を全く保証していないのは仕方がないと。

介護士の給与や社会的地位の低さが問題視されているが、そもそも、その業務を行うにあたり必要とされる、もしくは取得が望ましいとされる資格について、取得が容易であればあるほど、それらが低くなるのは当たり前の話だ。誰でもできる仕事に高い給与が支払われ、社会的な評価が得られるわけがない。

では、介護職員の待遇を上げるためにはどうすればいいのか。

現状では、介護福祉士がさらに「箔を付けたい」と思うなら、介護支援専門員か社会福祉士資格ぐらいしか選択肢がない。ただ、どちらも介護の資格ではないことは言うまでもない。基本的な知識を強化する上では有用だが、介護職としての具体的な援助能力を高めることは期待できない。
認知症関係の資格は乱立されているせいでどれも印象が薄い。
そして何より、それらは収入アップにさほど貢献しない。

ただ、介護業界の現状を見ていると、こうなっているのも致し方ないと思える。日本の高齢化はますます進み、介護職員をさらに増やすことが必要なのは誰が見ても明らかだ。
そのためには資格を、その気になりさえすれば誰でも取得できるようにしておく方が都合が良い。例えば他業種からの転職を考えている者が、「自分がこれからいくら頑張っても、資格を取って一人前の職員にはなることはできない」と考えてしまうよりも、「自分でも今から頑張れば、この世界で一人前になれる」と思える方が、介護の仕事を始めようという気になってもらいやすいだろうから。

そういう意味では、現在進められている段位制度は悪くないのかもしれない。
しかし、情報公表や第三者評価といった、これまでに行われてきた例を鑑みるに、適正に運用されるとはとても思えない。名ばかりで実が伴わないシステムがまた一つ増えるだけだろう。
そもそも介護職員の7段階のレベル評価を、事業所内で行わせるなど正気の沙汰ではない。事業所全体として評価が高くなることでメリットがあるのなら、事業所内部のアセッサーは実際よりも高い評価をするに決まっているではないか。そしてメリットがないのならば、真剣に取り組むはずもない。アセッサーの評価に対する外部からの検証も、情報公表や第三者評価のように、チェックされることだけを適当に満たしておけば中身が伴わなくともOK、となるのは目に見えている。それとも、特定の職員に何日も密着してアセッサーの評価との整合性を見る、という方法でも採るつもりなのだろうか。
どうしても事業所内で評価をさせたいなら、1つの事業所内でレベル7は全体の何パーセント、レベル6は全体の何パーセントと割合を決めて事業所内の職員間で競争させるくらいしか手はない。厚生労働省はこんなことも分からないのか、それとも分かっていながら真面目にやる気はないのでこれで押し通すつもりなのか、どちらなのだろう?

また、認定介護福祉士(仮称)なるものも検討されている。これは介護福祉士としての7~8年以上の実務経験やリーダーとしての経験、そして500時間ほどの研修を経て取得されることが想定されているもので、つまりはこれまでの資格よりも時間と金がかかるだけで全く能力を保証しない資格がさらに一つ誕生するわけだ。
年数など徒に重ねていても何にもならない。この業界に無能なリーダーはいくらでもいる。研修は受けさえすれば知識や技能が身に付くというものではない。
合格率が1桁の筆記試験と面接試験に合格した後、研修を受けて取得。ただし研修を修了するためには論文を提出して内容を認められなければならない、とでもしなければダメだろう。

と、年の瀬に過激なことを書いてしまったかもしれないが、それだけ私は切望しているのだ。志を持って努力し、成果を挙げている者に対してそれなりに評価してあげられるシステムを。
それこそが介護業界の現状を打破する第一歩だと。

経験年数

新人職員が入ってきた。

これまでは特定の数名の職員が新人の指導担当となることが多かったのだが、今回は特に指導担当は決めず、様々な職員に付いてもらうという。まあ確かにその方が、いろいろな職員のやり方を見て良いところを真似するという覚え方ができるので、新人にとってはいいかもしれない。それに他人に教えるということは、教える側にとっても自分のやり方を振り返るいい機会になるし。

ただ、人によって教えることが違うと、混乱することにもなる。ただ今回の新人は、10年の経験があるとのことで、つまりは私なんかよりも遥かに多くの経験を積んできているわけだ。だから介護の基本は身についているだろうから、それぞれの入居者さんがどういう方かが頭に入れば、即戦力になるのではないかと思っていた。

だが……それはどうも無理のようだ。
例えばオムツ交換をしてもらったら、入居者さんを仰向けにしたままで清拭布で陰部を拭こうとする。それではお尻の側は拭けないし、そもそも基本中の基本である、女性に対しては必ず前から後ろへ、という拭き方ができない。
「オムツ交換したことあります?」と訊いたら、「病院ではオムツを変えるのはナースの仕事で、自分たちは出たゴミを捨てたりするだけでした」とのこと。
その前にも特養での経験があるはずじゃないのかと思いながらも、それを確認したからと言ってできるようになるわけじゃないしなと思い、訊くのはやめた。

これはどうも、全くの未経験者に教えるつもりでいかないとダメなようだ。

それにしても、よく履歴書に身体介護の経験があると書けたものだ。
また、病院の看護助手という仕事は、つまりは介護職ということだと思っていたが、そうではないということか。看護師がやるまでもない雑用を黙ってこなしていくだけ。そこにどんなやりがいを見出して4年勤めていたのだろう。

もともとうちの施設は、無資格・未経験者が多い。だからいつもと同じではある。だがそれを繰り返していると、基本をしっかりと身に付けていない者が指導することになる。
その結果、移乗時の負傷事故が起き、本来なら1名での移乗で問題ない方も2名での介助を徹底せざるを得なくなるし、また動作時に入居者さんに力を出してもらうことができずに廃用がすすんでしまう。

いつまで経っても一人前の仕事ができないのに文句だけは立派。そういう職員をこれ以上増やさないようにしていきたいのだけれど。

施設のケアマネジメントは外部のケアマネが行うべき

12/27、第7回となる介護支援専門員(ケアマネジャー)の資質向上と今後のあり方に関する検討会が開かれた。

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002rz0x.html

先日行われたパブリックコメントの結果もまとめられている。一読してみたが、概ね現場の意見として頷ける(必ずしも「同意できる」という意味ではない)ものだった。これらが今後生かされていくのかはさておき。

この中で、日本社会福祉士会の山村会長が提出した資料によると、会の意見として、「施設および居住系サービスの利用者のケアマネジメントを担うのは、外部の居宅介護支援事業所の介護支援専門員であるべき」というものがある。

いわゆる居住系サービスでケアマネをしている私が言うのも何かもしれないが、大賛成だ。

このブログではしつこいくらいに書いているが、住まいとケアは分離されるべきである(エントリ「本当の『住まいとケアの分離』」など)。これはそのための第一歩となるだろう。
なぜなら、適切なケアマネジメントを突き詰めていけば、サービス提供事業所を変えることが望ましい場面も出てくるからだ。
施設による介護だけでなく、デイサービスに通う。施設による看護では不充分のため、訪問看護を入れる。そういったことができて、安心して好きな場所に住み続けることができるようになる。さらには、インフォーマルな地域資源も活用しやすくなるだろう。

それを実現させるためにも、まずはケアマネジメントから分離するというのはいいのではないかと思った。
自分たちが良質のサービスを提供していないことを自覚している事業所としてはさぞ困るだろうが、そうした事業所が淘汰されていくためにも歓迎したい。住宅型有料老人ホームで当たり前のように行われている、必要のないサービス提供も減ることになるだろう。
とにかく、施設や居住系サービスの内情が白日の下に晒されるのは良いことだ。

検討会でも、ぜひ真剣に取り上げてもらいたいものだと思う。

利用者さんに本気で怒る

現在実施しているアンケートによると、このブログをご覧になってくださっている方のほとんどは介護関係の仕事をされているらしい(当たり前だと思うが)。
皆さんは、利用者さんに対して本気で怒ったことがおありだろうか。

場合によっては、自分は怒っているのだと表現することが、援助においてプラスに働く場合もあるかもしれない。しかし本気で怒るなどというのは、それに肯定的な意味を与えることのできるケースは想像できない。それはプロの態度として失格だと思う。

過去の話ということで正直に書くと、私は利用者さんに対して本気で怒ったことが一度だけある。かつて老健に勤めていた時にお会いした方だ。

その方は男性で、確かご夫婦で二人暮しをされていた(もしかするとお子さんと同居されていたのかもしれないが、そうだとしても奥さん以外の方は介護に関わっていなかった)。認知症があり、奥さんの介護疲れのため、ショートステイをご利用されることとなった。
奥さんは、小柄でかわいらしい感じの方だったと記憶している。

その方はご自分がショートステイを利用するということを受け容れていなかった。施設に来るなり、帰ると言って私たち職員の言葉には一切耳を貸さなかった。
しかし、そこで「ご本人さんが強く拒否される以上、サービスを無理強いするわけにはいきません」などと言ってお帰りいただくことなどできない。サービスの利用目的が介護者の負担軽減なのだからなおさらである。

私はしばらくその方とお話させていただいたが、帰りたいという気持ちがやわらぐことはなく、それどころか次第に興奮されてきた。私は、「そうやって他人の言うことに耳を貸さないから、奥さんが疲れちゃったんですよ。奥さんが体を壊して倒れでもしたら可哀想でしょう。それにそうなったら、あなたも今の生活を続けられなくなりますよ。数日ですから我慢しませんか。家族はそうやってお互いに我慢して、お互いを尊重しあわないと」というようなことを言った。
それに対する返答は、「あいつは俺の言うことを黙って聞くのが当然だ。あいつがどうなろうと知ったことか」というようなことであった。

それを聞いた私は本気で怒った。「そういうことを言うのなら私は知りません。そうやって騒いで、自分の立場をますます悪くしていけばいいでしょう」という意味のことを言い残してその場を立ち去ってしまった。

なぜそんなに怒ったのか、自分でもよく分からない。
奥さんがあまりに可哀想に思えたから、ということなのだろうか。

今日、ふとそんなことを思い出したのであった。