クリアな人

「認知症」を「認知」と略すことについて、以前、「『認知症』を『認知』と略す」「『認知症』ではない、別の言葉の略としての『認知』」という2つのエントリで書いたが。

個人的には、他にも気になる表現がある。「あの方はクリアです」というものだ。

クリア。
「認知症がない」という意味らしい。
みなさんの周りには、そういう表現をする人はいないだろうか。認知症がないのがクリア(clear =清明)なら、認知症は意識が濁っているというイメージなのだろうか?

もちろん、「clear」には「(頭脳)明晰」という意味もある。とすれば、認知機能が低下したことをもって、クリアではないと表現したとしてもおかしくはないかもしれない。しかし、機能が低下していないことと頭脳明晰であることとは同じではないだろうから、認知症がないことをもって「クリアです」というのはやはり違和感が残る。

おそらくこれは、意識障害について記述する時に用いる表現が流用されているのではないかと思う。
例えばJCS(Japan Coma Scale)つまりいわゆる3-3-9度方式で、0の「意識清明」を簡潔に「クリア」ということがあるが、こうした表現を認知症にも用いているのではないかと。

認知症とは本来、意識がぼんやりすることではないと思う。少なくとも中核症状においては。
意識は清明でありながら、認知機能が低下している状態を指すのではないのか。

「クリア」といった用法は、認知症と意識障害との境を曖昧にする。本来ははっきりと分け、それぞれに適した治療、介護を考えていくべきではないのかと思う。

差別的だから止めるべきだとか言うつもりはない。
個人的に正確ではない表現に思え、気持ち悪いのだ。

さて。
とは言うものの、本来の認知症状は意識は清明であると言い切りにくいのも確かだ。レビー小体型認知症というものが存在しているからである。

アルツハイマー型認知症と脳血管性認知症は、発生のメカニズムは違えど、脳の神経細胞の減少という点では共通している。しかしレビー小体型認知症はどうだろう。神経細胞の減少というよりは、脳内の神経伝達物質の分泌異常と言った方が近いだろう。

レビー小体型認知症では、脳の神経細胞にレビー小体と呼ばれる異常な構造物がみられるが、これがどのように認知機能の低下に作用しているかは結局のところ分かってはいない(エントリ「パレイドリア」参照)。しかしいずれにしろドーパミン、セロトニン、ノルアドレナリンのバランスが崩れているのは確かなように思える。だからパーキンソン病に似た運動障害、自律神経障害も現れる。

レビー小体型認知症の方には、非常にぼんやりしている状態がある。この時にはとても意識がクリアであるとは思われない。静かな軽いせん妄状態とでも表現するのが、個人的にはふさわしく思える。

「認知症」という、全てを一括りにした言葉が悪いとは思わない。しかしその原因の違いに応じた言葉、現状ではアルツハイマー型、脳血管性、レビー小体型、前頭側頭型……といった違いも、もっと意識し、普及させていかねばならないのではないかと思う。

ところで、このレビー小体型認知症にみられる意識障害については、薬に対する過敏性の問題とも大きく関わっていると思うのだが、それについてはまたいつか別エントリにて。


2012.11.29追記:
うっかりしていましたが、そういえばDSM-IVでも、認知症の条件として意識清明であることが挙げられていましたっけね。

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