大事にされたい?

現在、うちの法人ではCS研修を行っている。

そこで、一人の職員がこう言ったことがある。
「DVDを観て、こういう職場で自分も働いてみたいと思いました。私は普段会社に大事にされていると感じられないので、羨ましいです」

自分が会社に大事にされているか。
私自身は今までそんなことを考えたことがなかった。

思えば私はこの仕事を始めてから、最初の2カ月こそ介護職として周囲の職員と同じ条件で勤めたものの、その後支援相談員、事務主任、転職して管理者、さらに転職して計画作成担当者となっており、周囲の職員に比べれば待遇は恵まれていたと言える。そのことで、経営者にはそれなりに評価されていると感じることができているのかもしれない。

それにしても「大事にされたい」というのは少し甘えているような気もする。自分の方から、会社が自分を大事にせざるを得ないように努力していくべきではないのか。

そもそも、どうなったら「大事にされている」と感じることができるのだろう。
昇給?
感謝や称賛の言葉?

そんなことを考えたものの、それはすぐに頭の中から消え去っていた。しかしつい先日、その職員が言いたかったことが分かった。全体会議で、彼女が話したことによって。

私やうちの管理者は、主に連絡ノートを通して、入居者さんたちへのケアについて安全や自立支援などのために、「今後はこうしてください」という指示をすることがある。しかし、それは職員にとっては今よりも手間がかかることだったりすることが多い。
そのため、私たちの指示は職員に反対されることもある。しかしその反対理由が利用者本位でなければ、私は翻さない。えてしてそうした反対は、自分たちが大変だからというだけの理由でしかないからだ。
その結果、提案を受け入れられる職員と、受け入れられない職員とに分かれる。彼女は受け入れられていないと感じているだろう。当たり前だ。自分たちが楽をすることしか考えていないのが透けて見えるのだから。
また、代替案も示さないただの文句に耳を貸す気はない。少なくとも私は。

実のところ、私はそれほど厳しく言ってはいない。普段から妥協してばかりである。しかし事故が起こったり、好ましくない状況があって、それに対して誰も何も対策を考えなければ、ケアマネという立場上言わなければならないことがある。現場が主導で考えていってくれるようなら、よほどのことでない限り口を出さないつもりなのだが、それがなされない。

その職員は、自分の主張が聞き入れられないことをもって、「自分たちの仕事はきつくなる一方だ=自分たちは大事にされていない」と感じているだけなのだ。

バカバカしい。

その職員が会議の時に例として挙げたのは、エントリ「アームサポート」で書いた入居者さんについてだ。私はケアプランで、「移乗時には前から抱えるのではなく、後方から支え、なるべく足に力を入れてもらうようにする」という援助を入れているのだが、それは無理だと言うのである。力のない女性職員にはお尻を引っ張り上げるのは無理だし、危険だとのこと。機能回復を考えるなら、マッサージや足踏みなどをした方がいいのではないか? とのことだった。

そこで私の頭をよぎったのは、

「職員が男性か女性かなんてことはこの問題には全く関係がない。私が力任せに引っ張り上げていると思っているのか? ベッドを適切な高さにし、足をしっかり踏ん張ってもらい、お尻の位置をずらしてから立ってもらえば、職員にたいした力は必要ない。それをせず、無理に立ってもらおうとするから、ご本人さんも足に力が入れられず立てないのだ。
ヘルパー2級の資格を持ち、介護技術講習会にも行っているのに、お前はいったい何を学んできたのか?
後ろから介助するのは大変、という話は以前にも別の職員を通して聞いた。その時に私は、大変なのはその職員の知識と技術の問題であることを伝えたはずである。なのに、大変なのは自分のやり方が良くないせいではないかと考えなかったのか?」

という言葉だったが、さすがにこれを口にしたら、泣かれるか、後で辞めると騒がれるだけだろうと思ったので止めておき、

「何が何でもそうしなさいというわけではなく、ご本人さんが拒否したり、また自分には無理だと思うのであればその援助はしなくて構わない。その旨を記録に残せばよい。
また機能訓練を生活場面の中で行うようにしているのは、別にマンツーマンで筋力増強などの訓練を行う時間を設定すれば、職員の負担が大きくなると思ってそうしているという面もある。きちんと実施してもらえるなら、全員分のメニューを、基礎体力向上のための訓練にしても一向に構わない」

とだけ伝えた。それに対しての彼女の反論はなく、他の職員に話を振っただけだった。自分から話を切り出しておいて、返答に詰まると他の職員に助けを求める。いつものことだ。

まあ本当なら私は、

「そうやって自分は仕事のできない職員であることを痛感し、できるようになりたいという向上心を持て。
そもそも機能訓練などと偉そうに言っているが、パーキンソン病の方の、屋外での歩行練習を兼ねた散歩をするというメニューさえ全くやらないではないか。単に廊下を端まで歩いてもらって終わり。それでは全く意味がない。歩く姿勢、腕の振り、スピード、そうしたことに気を配ってこその訓練である。こうした注意事項をきちんと書いた訓練計画を作っても全くできないくせに、何がマッサージや足踏みだ」

くらいのことは言いたかったが、さすがにそういうわけにもいかない。

私は、なされた提案が利用者さんのことを思ってのものだったら、大抵のことは受け入れる。しかし自分たちのことしか考えていない文句には耳を貸す気はない。
なぜ他の職員の提案は受け入れられ、自分の言うことは聞いてもらえないのか、その理由をよく考えてみるといい。

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介護のIT化の実例

先日「介護のIT化は実現されるのか」というエントリを書いたばかりだが。

今日、こんなレポートが。

介護現場が活きるIT化にiPadが活躍
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/38674.html

これだこれ。これが介護のIT化だ。

私がAccessでシステムを自作しているのは相談援助とケアマネジメント、それにスケジュール管理だけ(過去には事故対策や各種会議録、労務管理も行っていたが)なので、それより遥かに豊富な機能、介護施設における業務の多くを実装できる開発者(施設のPTさんとのことだ)の能力と努力は、本当に賞賛に値する。
そしてそれを認め導入する経営者の判断も。

見たところ、データベース化されているのは利用者さんの基本データの他、各専門職による評価や数値化される記録に限られ、日々の介護記録などはまだシステム化されていないようだ。それが実装されたら、完全に業務をペーパーレスにすることも可能だろう。

それにしてもMicrosoftのAccessではなく、FileMakerか。
もちろんMacベースではなくWindowsベースでも、Accessとタブレット端末によって同じことは実現できる。コストも、開発用PCにだけAccessをインストールし、端末にはランタイムを入れれば抑えられるし。
しかし、どうせならFileMakerの使い方を学んでおいた方が良かったのかも……

実際、記事の写真を見る限りでは、Accessならどういうテーブル、クエリ、マクロもしくはコードを作ればこういうことができるかというのはほぼイメージできる。
ただ、例えば排泄チェック表などは、どういうテーブルとフォームにしたらいいのかちょっと私にはイメージできない。どうやって実現しているのか非常に興味がある。

それはそうと。
この施設のシステムの欠点は、開発したPTさんが何らかの事情で退職しなければならなくなったら、その後の運用が不可能になると思われることだ。
通常、システム開発はSEが単独で行うことはないので、そうそう危機的な事態に陥ることはない。しかし開発者が一人だけでは、リスクは回避しようがない。

私がこれまでの施設で作ってきたシステムも、誰もメンテナンスできない以上使われていないだろう。一応ソースコードにコメントは多数残してあるが、それを見ることさえないだろうな……

とにかく、素晴らしいと思える記事だった。

諦めや我慢を強いること

男性職員による介助を嫌がられる女性の利用者さんは、決して珍しくない。
しかし嫌だと感じているのが実際に訴える方だけとは限らない。内心嫌だと感じていながら、我慢して黙っていることも当然あるだろう。
今やデイサービスでは同性介助が当たり前になっていることと思う。しかし施設ではなかなか難しい。

一番の原因は夜勤である。男性職員が夜勤の日など、フロアにその職員が一名だけとなれば、女性介助を徹底するのは不可能であるから。
もちろん、夜勤職員の男女の組み合わせを検討したり、他のフロアに応援を依頼したりといった努力は行われるべきではある。しかしそのような条件を満たすシフトを組むのは無理、ということも往々にしてある。
うちの施設でも、排泄介助に関しては、申し訳ないが同性介助の徹底は無理とご説明している。しかし入浴介助に関しては、希望を聞き入れさせていただいている。

しかし、だ。
入所後まもなくは入浴を同性介助で行っていても、いつの間にか男性の職員でもOK、となっていることがよくあるのだ。
ご本人さんが男性でも気にしなくなったのならもちろん結構なことだ。しかし実際には、説得し了承してもらっているだけで、心の奥では嫌だと思われていることも多いのではないだろうか。

そして職員は、同姓介助を望まれる女性入居者さんに入浴介助を行えた男性職員は誘導が上手で、拒否されてしまった職員は下手、と考えがちである。
問題はそんなことではないのに。

今日、そういう方の入浴介助をした。私は自分が誘導できる自信がなかったわけではなく、その方に我慢させるのは申し訳ないと思い、隣のフロアの女性職員に、その方の入浴介助をしてもらえないかと依頼してみた。
返答は、「どうしてもできないなら私がやりますけど」であった。

私は自分の気持ちを説明するのも面倒になり、ここで「お願いします」と言うのは、自分には無理と降参していることになるのだろうなと思って、「大丈夫です」と答えてしまった。実際、「どうしてもできない」なんてことは全くない。
それにしても、皆、なぜ入居者さんの身になって考えてみることができないのだろう。

そうして私が入浴をお手伝いしたわけだ。その方は嫌そうなそぶりは一切見せなかったが、内心ではどうだったのだろう。私は諦めや我慢を強いたのだろうか。

だとしたら、結果としてそういう思いをさせた私は、やはり介護職員としてはまだまだである。

職場でのネットコミュニケーション

iPhoneやiPadなどのiOSデバイスや、スマートフォンなどのAndroidデバイスを持っている人なら知らない人はいないだろうが、LINEというアプリがある。データ回線を利用した無料通話、メッセンジャーアプリだ。

私はLINEについては個人情報の利用方法等について許容できない(OS部分から連絡先情報を抜き取る)のと、そもそも運営会社を信頼できないので使う気は微塵もないが、実際のところは普及率は半端ではないと思われる。

1対1のコミュニケーションだけならどうということはないが、グループを作成し、メンバーが全員に宛てたメッセージを見られるのは、かつてのメーリングリストのようでなかなか便利らしい。チームワークを必要とする医療・介護の業界においても活用できそうだ。

実際、Twitterで相互フォローさせていただいているある方は、特養のユニットに勤めているのだが、ユニットのメンバー間でLINEを使っているという。
職員同士が事例検討をしたりするだけでなく、互いに感謝し合ったり励まし合ったりといったコミュニケーションの役にも立っているようだ。

なるほどー。
見事なICTの活用だ。

ただ、これを行うには、少なくともメンバー全員がスマートフォンを持っていなければならない。このために、スマートフォンに替えることを職員に強制するわけにはいかないので、条件が整えばということになるだろう。
件の特養のユニットでは、職員の平均年齢が26歳と若く、もともと全員がスマートフォンを所持していたらしい。なんと恵まれた状況……うちの平均年齢なんて計算したこともないけど……

前述したように私はLINEを使う気はないが、といって類似のcommなどはもっと使う気になれない。
いっそFacebookでグループ作った方がマシだと思うが、いちいちブラウザやFacebookアプリを立ち上げてそこから利用するのも面倒だ。

もうちょっといいアプリがないものか。まああったとしても、うちの職場では普及させようもないけどな(^-^;

学歴と資格

資格には、学歴を問われないものと、問われるものとがある。

介護業界での前者の例として、介護支援専門員が挙げられる。基本的には5年の経験があれば、誰でも実務研修受講者試験を受けられるのだから。
しかし後者、例えば社会福祉士は、大卒でないと受験できないということはないものの、大卒でない者にはハードルが高いのは事実である。

私は4大卒なので、通信教育を1年半ちょっと受けて、社会福祉士の受験資格を得た。はっきり覚えていないが、費用はハローワークの教育訓練給付制度を利用して、20万円もかからなかったと記憶している。

私は大卒なので、こうしたハードルはむしろ歓迎したいくらいだったが、そうでない者には納得しにくいのではないだろうか。

社会福祉援助の資格にはこういうところがあって、社会福祉主事任用資格も、大学の文系の学部を出ていればほぼ自動的についてくるものだが、そうでない者が取得しようと思えば、少なくともスクーリングを含めた通信教育を受けなければならず、かかる費用も馬鹿にならない。
私は必要な科目を充分に大学で履修していたので、履歴書には堂々と「社会福祉主事任用資格」と書いた。いわゆる「三科目主事」だ。
このおかげで、ヘルパー2級の資格もなしで介護の仕事につくことができ、2ヶ月で相談員にされたという可能性もなくはない。単に理事長が学歴偏重主義だったので、私の卒業した大学名が目に留まっただけかもしれないが。

この仕事で大卒であるか否かは、業務遂行能力そのものとはあまり関連がないのは当然である。大卒よりも優れた高卒の介護職員、介護支援専門員、相談員はいくらでもいる。そんな中、資格取得のために学歴を問うことに意味はあるのだろうか。

医師や弁護士、看護師などの資格に関しては、専門的に学んでいなければ受験資格がないのはやむを得ないと思う。が、社会福祉士や社会福祉主事任用資格は……果たして専門的な教育が必要だろうか? そして何よりも、大卒であるかどうかにそれほど大きな意味があるのだろうか?

自分を振り返ってみると、大学で心理学の他、教育学なども一般教養で履修したために社会福祉主事任用資格を名乗ることができている。そしてレポート作成がメインである通信教育を受け、試験勉強をして社会福祉士となった。やがて5年経ち、ずっと介護保険制度の中で相談援助の仕事をしていたために特に勉強する必要もなく介護支援専門員にもなった。
大して専門的な勉強をしてきていないということは、それだけ「自分にはこれがある」と頼り、誇れるものもないということだ。

なぜこんなことを気にしているかというと、私は自分が果たしてプロフェッショナルなのか、もしそうだと言えるならそれは何のプロフェッショナルなのか、ということが未だに分からずにいるからである。
たぶんこれがこのブログ、「The Cabinet of a Certain Care-Manager」を通してのテーマであり、この答が自分の中で出た時、このブログの役割も終わるのだと思う。

果たしてそれに、あと何年かかるのか分からないが。