「認知症」ではない、別の言葉の略としての「認知」

まずは誰でもよいので、ご自分がよく知っている要介護高齢者をお一人頭に思い浮かべ、以下の質問にYes/Noではっきり答えて欲しい。

1. その方に便秘はありますか?

2. その方に狭心症はありますか?

3. その方に認知症はありますか?

答えていただけただろうか?
では、以下へ。





一昨日のエントリで、「認知症」を「認知」と略すこと(と言うよりも、略すことを非難する人たち)について書いたが。
よく考えてみると、「認知」と言うのは、必ずしも「認知症」の略ではないのではないだろうか。

いきなりだと何のことかお分かりいただけないだろう。
そこで順を追って説明していこうと思う。

冒頭の質問について、みなさまの回答はどうだっただろうか?

「便秘」というのは、排便が滞っているという意味で日常会話でも広く使われており、診断名としてしか用いられないというわけではない。これが「便秘症」となれば話は別で、あなたの回答もちょっと違ったものになったかもしれないが。
「はい」「いいえ」のいずれにしろ、答にはそれほど迷われなかっただろう。

続いての「狭心症」とは、ご存じのように一時的に心筋が虚血を起こすことによる胸部痛・胸部不快感からなる症候群である。
この質問に「はい」と答えるのは、狭心症という診断名が、医師によってその方に付けられていることを、あなたが知っている場合のみだろう。「そういえば、時々胸が苦しいって言ってるから、あれは狭心症だな。つまり答は『はい』だ」などと考える人はいないはずである。

そして3つ目の「認知症」についての質問。
あなたはその方に認知症という診断名が付けられているかどうかを正確に知った上で、答えを出しただろうか? それとも、その方の認知機能が低下していて、日常生活に支障が生じているかどうかという事実をもって答えただろうか?

「認知症」という言葉は、診断名たりえるものである。つまり、医師が診断書等に「認知症」と書いても全くおかしくはない。
では、日常生活用語としてはどうだろう? 医師の診断を受けていない方に対し、「あの人は認知症があります」などと我々が言うことは正しいのだろうか?

2005年、それまでの「痴呆」という言葉が「認知症」に改められた。
「痴呆」という言葉は、日常生活用語でもあった。つまりは「便秘」という言葉のようなものだったのだ。医師ではない者が「あの人は痴呆があります」と言っても、それはさして不自然なものではなかった。
それが「認知症」に置き換えられた時、「症」という文字がつくことによって、それは診断名、医学用語になったと無意識的に感じた人も少なくなかったのである。医師以外の者には、その有無を断定できない言葉になったのだと。

私の言いたいことがおわかりいただけるだろうか。

かつての「痴呆」は、診断名として付けられているか否かに関わらず、医師以外の者でも「痴呆がある(ない)」と言いやすい言葉だった。もしもはっきりと診断名であることを示したければ、「痴呆症」と言えばよかった。
だが、「認知症」は違う。「症」という文字が付いているために、我々が気軽に有無を判断できる言葉ではなくなったように見えた。それこそ、「狭心症」と同じように。
そんな中で、我々が認知症の診断がされていると断言できない方について、認知症の有無を語ろうと思えば、「認知症のような言動がある(ない)」などと言うしかない。それは何とも言葉として長い。
そこで「認知」という略し方が広まったのだ。

そう。実は、略語としての「認知」とは、必ずしも「認知症」の略ではないのである。
「認知症のような言動」という意味を持つ文章の略なのだ。

もちろん、「症」という文字が付いているからといって、必ずしもそれが疾患名というわけではない(「心配症」という言葉のように)。しかしそう感じてしまう人にとっては、「認知症」に対する「認知」とは、「痴呆症」に対する「痴呆」と同じ意味の言葉なのである。「痴呆症」と違って「症」を取るとその意味はもとの意味から大きく離れてしまうにもかかわらず、同じように使ってしまっているのだ。

そういう人にとっては、「認知」という略はむしろ便利である。もともとの言葉が、「痴呆」のようにネガティブな意味を持たないので口にしやすい。
そういう意味では、「認知」は略語と言うよりも隠語として用いられていると言った方が正しいかもしれない。

だから「認知」と略す人は、若い職員よりむしろ経験の長い職員に多い(若い人にはいない、ということはないが、比較的少ない)。これは、経験の長い職員は「痴呆」だった頃を知っているからこそである。

「痴呆」に代わる用語として「認知症」という言葉が選ばれた、そこに大本の原因があるのだ。

そして、「認知」と略さずに「認知症」と言っているから良いというものではない。診断名が付けられていない、あるいは付いているかどうかはっきりしない方に対し、医師以外の者が「あの人は認知症がある」と言うのは果たして適当なのか?
そういう使い方をしてしまうと、きちんとした診断を受けているのかいないのかが紛らわしくなってしまうのではないか?

「認知」と略したことがない方にこそ、考えてみて欲しいと思う問題である。
ということで、本日の結論。

その1:「認知」とは「認知症」の略ではなく、「認知症のような言動」という意味を持つ文章の略として使われることが多い。
その2:「認知」は略語と言うよりも、隠語として用いられる場合もある。

……今日の内容はさすがに考え過ぎて、現実から乖離しているかな……

最後に。
私は「認知」という略し方を許容しているわけではないことを、念のため書き添えておく。

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