そもそも地域って

保健者の定める介護保険事業計画では、日常生活圏域を設定することとなっている。
これは、地理的条件や人口などを元に、各保険者ごとの基準で決められる。

しかしこうして決められた日常生活圏域は、そこに住んでいる人たちにとって納得できるものとは限らない。
そもそも日本では、江戸時代の五人組、大戦までの隣組といった制度があり、それは現在の町内会にも受け継がれているが、いかんせん規模が小さい。町内会がいくつかまとまってさらに大きな単位を作っているところもあるが、それとて住民には帰属意識はない。

これが欧米だと、教会というものがある。毎週日曜日には礼拝に行くため、そこで互いが顔見知りになる。
これこそがコミュニティの中核をなし、人々に帰属意識が生まれていくのではないか。
と、特に海外事情に詳しいわけでもないのに、イギリスのミステリなどのイメージを元にして勢いだけで書いているが……

日本でも、神社の祭事を行う氏子という単位があったが、農村ならともかく都市部ではほとんど残っていない。農村から都市への人口の流入がごく自然に続いているのだから止むを得まい。
つまり、地域包括ケアと言われても、「そもそも地域って何だ?」となる。
イギリスのコミュニティケアのようにいかないのは当たり前ではないか。

また、介護保険事業計画も、計画主体の保険者に地域のニーズなど把握できるのだろうか。本来なら、その「日常生活圏域」たるコミュニティが自ら考えていかねばならないことではないのか。

地域包括ケアを実現させるには、まずは住民が自ら医療や介護について考えるようにならないとダメなのではないか。それで初めて、認知症の方の見守りとか、移送ボランティアとかいった地域資源を作り出していけるようになる。

まず、そのための第一歩としては。
地方議会議員の選挙区を「日常生活圏域」と同一とし、事実上、地域のリーダーを直接選挙で選んでいるのと同じことにする。そして、それぞれの地域に、その議員を中心として地域包括ケアを考える組織を作る。もちろん地域包括支援センターもそこに参画する。
このくらいの大きな改革から始めないとダメではないか。

もちろん、これはある程度の都市部の話。
だが、ならば日常生活圏域がそのまま一つの村というところなどは、地域包括ケアを楽に推進していくことができるのかというと、決してそんなことはない。
医療と介護において、民間の力を活用していくことが難しいからだ。農村では、医療は診療所が一つあるかないかで、介護サービスを提供しているのも社協だけ、という話もよく耳にする。

現在の我が国で地域包括ケアを実現させるのは並大抵のことではない。
その実情をしっかりと踏まえた上でないと、絵に描いた餅で終わると思う。

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