正しい答

介護には「正しい答はない」と言われる。
この言葉には、2つの意味があると思う。

・ 利用者さんは一人一人それぞれ違った個性があるのだから、万人に当てはまる普遍の法則は存在しない。
・ 比較してどちらが優れているかの判断はできたとしても、それがあらゆる可能性の中で最も優れているという確証を得るのは不可能。

これはどちらも正しいだろう。しかし、それがより良いケアを求めることを放棄する口実になってはならない。我々は常にそれを探し続けなければならない。

例えば、食事が済んだばかりの時に「ご飯もらってないんだよ。ちょうだい」と訴えられた場合について。

ここで、「あれ? さっき食べましたよ」と応えたとする。認知症の方は自身の記銘力の低下を感じておられることがあるので、ここで自分が忘れたということを認め、「ああ、そうだったっけね」で場が収まることもあるだろう。
しかし、一見すると認められたように思えても、そのやりとりの裏側では、その方が本当は納得していないのに「食べましたよ」とあっさり片付けられて傷ついていたり、「この人には言っても聞いてもらえない」と感じてしまっている可能性もある。
利用者さんの心の内面の動きを全て察知できる神でない限り、こうした危険は付きまとう。

上記のようなやり取りで、その方も納得されて丸く収まることももちろんあるだろうが、利用者さんを傷つけている独りよがりな対応に過ぎないことも数多くあるのだ。
己の対応に満足してしまっていては進歩はない。

私が思うベターな方法は、一言目はやはり極力相手の訴えを否定せず、かつ訴えられる内容(ご飯を食べていない)ことを知っていた、あるいは全く逆に、寝耳に水だったかのように「演じる」ことだ。そこには嘘が混じることもあるが、少なくとも一言目は相手の言い分を受け容れることが大切だと思う。
しかし、これがベストとは限らないのももちろんだ。それは、カンファレンス等を通して探っていくことになる。訴えに潜む本当の欲求は何なのかを探り、それを施設全体で共有していく。

独善的な人間には決して良いケアはできない。

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