否定と騙し、はぐらかし

認知症ケアの基本の1つに、「否定しない」というものがある。私がこの仕事を始めた頃には既にセオリーとなっていた。

そしてパーソンセンタードケアでは、「騙したりはぐらかしたりしてはならない」とされる。これも現在では広く知られている。

では。
認知症の方が事実と違うこと、あるいは介護サービス利用のための契約に反することを訴えられた場合、それを受け入れる(=否定しない態度をとる)べきなのか、それとも受け入れない(=騙さない態度をとる)べきなのか?
(この場合の契約とは、契約書に明記されていることに限らない。広義での「施設としての義務・責任」である。)

このジレンマについて一度も考えたことのない者は、認知症ケアに関して全く学んでおらず全て自己流のケアを通しているか、あるいはパーソンセンタードケアを学んだことがないかのどちらかだろう。

否定してはいけない理由は、自分が相手に拒絶されたと感じさせたり、自尊心を傷つけたりするからである。自分の言うことを誰にも信じてもらえないとなれば、こんなところにはいたくないと思うのが当たり前だ。自分に当てはめてみれば容易に想像できるだろう。
認知症だからと言って何もかも全て忘れてしまうわけではない(映画『メメント』をご覧になったことのある方は、その主人公と認知症の方とを比べてみるといい)。認知症の方に限らず、人は感情と結び付いた記憶は保持されやすいものだ。こうした嫌な記憶は後の対人関係に悪影響を及ぼす。そして対人関係の悪化は周辺症状を引き起こす(エントリ「周辺症状は対人関係の障害から現れる」参照)。

一方、騙してはいけない理由は、上述したように認知症の方でも記憶されることはあるのだから、後に騙されたと知ることは、否定された場合と同様もしくはそれ以上にその方の気持ちや対人関係への悪影響を及ぼすからである。
また自分が今現在相手にはぐらかされていると感じ取る能力は、記銘力とは別にしっかりと保持されていることが多い。となると当然いい気はしない。
そして、そもそも人と人との間の信義に反する。つまりそれを意図的に行うのは人の道にもとる。

否定してはいけない。騙してもいけない。
そうなると残された手は、ひたすら平謝りすることぐらいか。しかしこれも、サディスティックな傾向のある利用者さんならば満足してくれるかもしれないが、自分の主張が受け入れられなかったという事実は揺るがない。ここでマイナスの感情が生まれることもあるだろう。
完全に八方ふさがりである。

さて。
ここで定義に立ち返って考えてみると、はたして認知症の方の事実や契約に反する思い込みを否定しないことは、騙すことと同じなのだろうかという疑問が生じてくる。
「騙す」とは、「本当でないことを本当であると思い込ませる」ことである。「既に本当でないことを本当であると思い込んでいる、あるいは契約に反する希望を持たれている方に対し、それを否定しないことは騙すことになる」のだろうか?

整理してみよう。
認知症の方が事実や契約に反することを訴えられた場合、「否定しない」「騙したりはぐらかしたりしない」の2つの原則を満たすには、「相手の事実や契約に反する思い込みを否定しないことは、騙すことにはならない」という前提の上で、その思いを受け容れてあげるしかない。

と、これだけだと単なる言葉遊びである。上の結論が正しいかどうかは、別に検証される必要がある。
つまり、相手の事実や契約に反する思い込みを受け容れてあげることに、何か推奨できるだけの意味を与えられるだろうか。また逆に、禁じるだけの理由があるだろうか。

受け入れてあげることが望ましい理由は、相手の言うことを否定しないことにより、その方の体験している現実を尊重することができること。
そして、禁じるだけの理由は思いつかない。もしも「事実や契約に反する思い込みを受け容れることは騙すことであるから避けねばならない」と考える人がいるとしたら、それは言葉のロジックに囚われているだけで、本来中心にあるべきはずの、認知症の方のことなど目に入っていないのだ。

事例で考えてみよう。まずは、事実と違うことを主張される場合。
食事の直後に「ご飯ちょうだい。何にも食べてないんだよ」と言われたとする。
その方が普段摂取カロリーが少なく、何とか食べる量が増えることを周囲が願っている方であれば、「しめた!」とばかりに食べるものをご用意すればいいだけだが、そんなケースはむしろ稀だろう。何らかの理由でお出しすることができないとするならば。

考えられる対応は、
・「さっき食べたばかりですよ」→否定
・「ごめんなさい、すぐに用意してもらいますから待っていてくださいね」→騙し
・「お腹空いてるんですね。そういえば〇〇さんはパンとご飯どちらがお好きでしたっけ?」→はぐらかし
・「本当にすみません、お出しできるものがないんです。ごめんなさい」→平謝り

といったところか。この葛藤の中で我々が取るべき態度は?

私が思うに、「食べてなければお腹が空いて当たり前ですよね。ご飯が用意できるまで、これでもいかがですか」とお茶、そしてできれば少量のお菓子を用意しつつ、傍らでお話しをして、訴えが消失するのを期待するというところではないか。
これで騙しやはぐらかしと言われるなら、私は「騙したりはぐらかしたりしてはならない」という原則の方を放棄する。そんなものに遵守する価値などないと。

もちろん、これはその場限りの対応で終わらせるのではなく、ケアカンファレンス等を通して「お腹が空いたという訴えは寂しさ、手持無沙汰さから出ているのではないか」といった仮説(常に、真のニーズに即座に到達できる者はいないのだから、仮説で良い)に基づいてケアプランを立て、それに沿った支援を行い、効果を検証して、必要があれば再度プランを変更、というプロセスを繰り返すこととなる。

次いで、介護サービス利用のための契約に反することを主張される場合。
「家に帰りたいから息子に電話して」と言われたとする。
退所予定日でない日に帰りたいと言われても、施設としてはそれを即座に叶えてあげることはできないのであるから、契約に反するとみなすことができよう。

考えられる対応は、
・「それは無理ですよ」→否定
・「わかりました、息子さんにお電話しますので待っていてくださいね」→騙し
・「その前に、その格好でいいですか? もう少し暖かい格好の方がいいんじゃないですか? 私と一緒に着るものを選びません?」→はぐらかし
・「本当にすみません、今日はお帰りいただく予定ではないので、無理なんです。ごめんなさい」→平謝り

という感じだろう。これも我々が取るべき態度を考えると。

「わかりました、お電話します。でもその前に聞かせてください。どうして帰りたいんですか? 何か嫌なことがありましたか? はっきりした理由もなしでお帰りいただくと私が叱られるんです」と電話の傍でお話を伺い、訴えが消失するのを待つというところではないか。そして先程の例と同じく、ケアマネジメントに生かす。
これも、騙しやはぐらかしと言える。しかし帰りたいというその方の体験している現実(気持ち)を尊重し、否定していない。

私が騙しやはぐらかしを肯定するのはこういう理由からである。こうしたケアマネジメントの先に、「認知症の人」へのケアがあるのだ。

あれ? 整理しただけのつもりが、以前と言ってること変わった(^-^;?

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