笑う門には福来たる

心理学で非常に有名な学説の一つに、ジェームズ=ランゲ説というものがある。
これはひとことで言うと、「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのである」となる。すなわち、外部からの刺激に対して、まず悲しいという感情が起こり、その結果として涙が流れるのではない。涙が出るという生理的反応が先にあって、それにより悲しいと感じる、というのだ。

さすがに現在では、この考えはそのまま支持されてはいない。が、例えばダットンとアロンの吊り橋実験(吊り橋の上での恐怖による興奮を恋愛感情の昂りと錯覚する)は特に広く受け入れられているし、「刺激を認知する過程に意識的に働きかけることで、情動を変えることができる」とする認知療法とも共通点がある。

こんな記事を見つけた。

美容整形の注射でうつ症状が改善する可能性
https://aspara.asahi.com/blog/medicalreport/entry/1SuLQUfgF1

(以下、一部抜粋。)

しわ取りの美容整形などで使われるA型ボツリヌス毒素製剤(商品名「ボトックス」など)を、うつ病患者の眉間のしわに注射することで、うつ症状が改善するという臨床試験の論文が精神医学研究雑誌に5月公表された。

抑うつや悲しみで顔をしかめると、眉間にしわが寄る。A型ボツリヌス毒素で眉間のしわを改善することにより、一種のリラクセーションと類似の効果をもたらしたり、自分の顔を鏡で見た際の印象が改善したりすることなどで、うつ症状が改善した可能性を著者らは指摘している。

身体に現れる反応を変えることで、感情をも変えることができるのだ。

介護の現場での応用としては。
うつ病とまではいかずとも、うつ傾向のある利用者さんは少なくない。職員もそうだ。
そんな中、現場での笑いを増やせば、幸福感が増す。つまり「福が来る」。

笑いの多い施設にしたいね。

鍵のかかった建物

先日、うちの法人で計画している新規事業について、多くの方々の前でプレゼンする機会があった。
これについてはまた別のエントリで詳しく書くかもしれないが、今日は、その時の質疑応答で尋ねられたことについて書いてみたい。

私たちは、自分たちがこれまでに運営してきている事業所の特色の1つとして、「玄関に鍵をかけない」ということを挙げた。それに対し、「鍵をかけないのは、わざわざアピールするまでもない、当たり前のことに思えるのですが」というご意見を頂戴した。

その通りだと思う。

だが、その当たり前のことをしていない事業所が多いのも事実。
玄関ドアは外から入って来る時には普通に開くが、出て行くのには高いところに手を伸ばしてロックを外さなければならなかったり、暗証番号を入力しなければならなかったり。入所施設だけでなく、デイサービスでさえこのようなところを見かけることがある。

老健の認知症専用棟となると、棟が施錠されていないところを見たことがない。棟から出るには暗証番号を入れなければドアが開かなかったり、エレベーターが使えなかったりする。そうした暗証番号の入力装置を懸命に叩いたり、ドアを開けようとガタガタと揺さぶっている利用者さんを見たときのあの胸苦しさといったらない。

もちろん、こうしたシステムを導入している事業所を全て非難するつもりはない。利用者さんたちの状況や人員配置数等の理由から、やむを得ず行っているところも多いだろう。
それに、施錠はあくまで念のための策として行っているのであって、出て行こうとされる方が実際に玄関に行ってドアを開けようとする前に、何らかの対応をすることだってよくあると思う。
鍵をかけない代わりに、「うちは鍵をかけないので、出て行かれてしまう方はご利用できません」と利用を断っているところもあることを考えると、果たしてどちらの対応がより良いのか……

また鍵をかけずとも、赤外線センサーなどによって、玄関を誰かが通過したらそれに反応して職員に知らせるようなシステムを導入しているところもある。
利用者さんに「自分はここに閉じ込められている」という苦しみを与えることはないので、鍵をかけるよりは遥かにマシな対応と言えよう。

しかし。
鍵をかけていたりセンサーを設置していたりすると、「気づかないうちに出て行かれることはない」という安心感が職員の中に芽生える。その結果、どの利用者さんがどこで何をしているかという意識が薄れたり、出て行きたいという欲求そのものへのアプローチが疎かになりやすい。これも大きな問題だ。

うちの施設では、以前にも書いたが、離設事故が起こったことがある。その再発防止策として、居室の入口にセンサーマットを敷くという対応を行うこととした。その方が居室で休まれているのか共有スペースのどこかにおられるのか、それだけを頭に入れておくだけでも全然違うものだ。
これが唯一の理由ではないと思うが、以後は離設事故は発生していない。

安全のために予防策を取るのはやむを得ないが、それにより必要な努力を怠ってはならない。

情弱乙

介護業界のネット掲示板を見ていると、↑こう(エントリのタイトル)としか言いようのない光景に出くわすことが多い。

ここで言う「情弱」とは、「最新の情報技術から取り残された人」という憐みを含んだ意味ではなく、「情報技術の使い方を間違っている人」という軽蔑を含んだ意味。

己の主張に反することを口にする者に汚い言葉を浴びせかけ、会話を続けさせようという気を無くさせる発言が多い。そしてそれがまかり通っている。
意見を同じくする者は、その矛先が自分に向けられていないのをいいことにそれを窘めず、逆にすり寄る。その様はいじめっ子におもねる子供だ。
こんな光景が多くの場所で見られる。

そもそも、当たり前の話だが、他人を罵るという行為は法に抵触する。

以下刑法より抜粋。

(名誉毀損)
第二百三十条 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。

(侮辱)
第二百三十一条 事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。

名誉棄損や侮辱となるには、それがいったい誰に対してなのか判断できなければならない。なので、いわゆる捨てハンドルネームで書き込んだ者を罵っても罪は成立しないが、固定ハンドルネームで、その他の情報を併せて考慮すると個人の特定が可能である場合には、罪が成立する可能性がある(参考)。
もちろん、これは実際に罪に問うことができるか否かという問題なのであって、この条件に当てはまらないから他人を罵ってもいいということにはならない。

介護・福祉の仕事をしていながら、こんな基本的な法律も守れない者が少なからずいるのが現状だ。ましてや非道徳的でもある。
そういう者が介護保険法や利用者の尊厳などについて語っている様は、まさに「滑稽を通り越して哀れみさえ感じる」。

で、そう言う私はこのブログで名誉棄損や侮辱をしていないかというと……
個人に対してはもちろん一度もない。そして団体に対しては批評の範囲内に収めているつもりだが、こちらは危ないところがないとはいえない、かも。
今から削除や訂正をするのはフェアではないのでやらないが、以後は気をつけよう(^-^;

訴えは困るのではなく利用しろ

昨日のエントリで「天性の資質」などと書いたが、今日はそれがどういうものなのか、その一部ではあるが書いてみようと思う。

最近よく使う例だが、食事の直後に「ご飯ちょうだい」と言われたとする。
そうした時の我々凡人の対応例は、エントリ「否定と騙し、はぐらかし」に書いたようなものだろう。
しかし本当に優れた対応ができる者は、「えー食べてないの? それじゃお腹空くよねー。じゃあ一緒にご飯作ろうよ!」などと利用者さんを活動に誘い、料理の下ごしらえや、時には調理と何の関係もないような作業を共に行って、いつの間にか入居者さんを笑顔にしてしまう。

「帰ります」という方には、待ってましたとばかりに「じゃあそこまで一緒に行くね!」と一緒に玄関から出ていき、付近を散歩しながら植物で何かちょっとした作品を作って持ち帰ったり、ついでに機能訓練をしてきたりする。もちろん利用者さんは素敵な笑顔になっている。

つまり、普通は「問題行動」とされるようなことでも、それをうまく援助に利用できるのだ。
何か訴えがあった時に、それに「対処する」というレベルでは、たとえ騙しやはぐらかしをしなかったとしても、まだまだなのである。
そうした訴えを、利用者さんが自ら作り出してくれたチャンスと捉え、支援に生かしていくことのできる者が現にいるのだから。

もちろん、こうした支援を行うには環境もそれなりに整っていなければならない。職員が常に日常業務に追われているような状態では、こうした支援はできないだろう。

そういう職員には心底敵わないと思う。
しかし、私もそういうことができるようになりたいとは思わない。無理だ。

私は、そういう職員が思うような仕事ができるように、フォローすることができれば充分。

了解と理解

特に対人援助職においては、職員の指導は難しいとつくづく思う。

一番の困難は、エントリ「文系と理系」で書いたように、人には「感情に優れるタイプ」と「理性に優れるタイプ」が存在することだ。

私は、介護職員の資質として優れているのは疑いもなく前者だと思っている。
「感情に優れるタイプ」の介護職員の中には、「知識や技術はまだまだ必要だが、仕事ぶりに関しては何も言うことはないからそのままのびのびと仕事してくれ」と思える者がいる。快活で、利用者さんたちの気持ちをいち早くつかみ、それに応えることができる。
最もこのタイプには、自分のことしか考えていない者がいるのも事実である。だから感情に優れること=優れた介護職員というわけではない。残念ながら。

一方の「理性に優れるタイプ」であるが、「この仕事を選んだ以上は、恥ずかしくないだけのことをしよう」と努力を重ねていくことができれば、これも立派な資質となりうる。ただ哀しいことに、いくら努力を重ねても「感情に優れるタイプ」のうちの天才型には敵わない。
またこちらのタイプにも、「これが自分の仕事なのだから」と割り切って淡々とこなすだけだったり、中には自分を正当化するのに精一杯なだけで、介護職員としての適性に劣る者がいる。

自分のことしか考えていない感情タイプと、正当化するだけの理性タイプは、どちらも介護の業界に向いていない。別の仕事を選んだ方がいいと思うが、と言って全員一斉に退場を願えば事業所が人手不足(人材不足ではなく)で回らなくなるのも確かなので、淘汰は少しずつ進めていくしかないだろう。

さて。
例えば「利用者さんにかける言葉は必ず敬語で!」「利用者さんに嘘をついたりはぐらかしてはダメ!」といった指導は、介護に向いていない者や、、努力型、割り切り型の理性タイプにはとても有効であると言えよう。
こうした指導、つまり誰もが一定のレベルの仕事ができるようにしようという努力は、決して無駄ではない。それどころかむしろ尊い。
しかし。このような指導を重視する者は、「介護職員全員を、天性の資質がある者のレベルに引き上げるのは不可能である。介護は職人芸ではなく技術であるべきだ」などと口にしてしまう。

それを業界内で徹底することは、天性の資質がある者を凡人のレベルまで引きずり下ろすことでもあるというのに。

感情に優れるタイプは、えてして言葉で強く指導すると、それに必要以上に縛られる。乱暴な言葉遣いや嘘、はぐらかしを避けようとするあまり、態度がぎこちなくなってしまったりする。
(えーと、嘘を言っちゃいけないんだから……)とその場であたふたして利用者さんの不安を煽るような真似をするより、思うままに優しさを発揮して欲しいと思う。そこで言葉遣いが少々乱れても、相手の誤認に合わせて事実と異なることを口にしても、全然構わない。

「敬語でないと親しみを込められないなんてことはない」「嘘やはぐらかしなど必要ない」というのは正しい。その通りだ。
しかしそうやっていくら頑張ってうまく接しても、天性の資質がある者が何気なく発する言葉には敵わないこともある。これも事実である。
そういう者を見て、「あの人には敵わないなー」と思ったことがないとしたら、それはよほど職場に恵まれてこなかった人だろう。

だから職員の指導は難しい。
天性の資質がある者には、余計な指導は必要ない。しかし適性に欠ける者には、うるさいくらいに繰り返してやらねばならない。これを同じ職場の中で使い分けるのは容易ではない。

またこれは事業所の特徴によっても違ってくる。これについてはエントリ「介護においての家内制手工業と工場制手工業、そして工場制機械工業」で述べた。

ということで、「利用者さんには絶対に敬語で」とか「嘘やはぐらかしは絶対にダメ」と全介護従事者に向けて極端なことを言っている者は、私は浅はかだと思っている。対人援助理論はそんな短い言葉で言い切ってしまえるほど単純なものではない。

なんてことを、最近現場に入ると考えたりする。