居住のルール

キャリアブレインの記事より。それほど長いものではないので全文引用する。

特定施設、「施設でなく住まい」の意識を- 特定協がケアマネジメントで報告書
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/37155.html

全国特定施設事業者協議会(特定協)はこのほど、介護付有料老人ホームなどの特定施設でのケアマネジメントの在り方に関する報告書をまとめ、公表した。特定施設を「施設」ではなく、「住まい」や「居宅」としてとらえ、ケアマネジメントすべきと提言している。

報告書は、2011年8月から4回にわたって議論してきた特定協の「特定施設におけるケアマネジメントに関する研究会」が取りまとめた。

報告書では、▽職員の出勤時間や出勤人数によって、入居者の起床時間が決まっている▽食事時間が一律になっている▽希望を聞かずに、入浴時間が決められている―といった、施設側の都合を優先したケアマネジメントを行うべきではないと指摘。特定施設は入居者の住まい、居宅であるとして、「入居者一人一人の生活を、個々にとらえたケアマネジメントを考えなければならない」としている。

また、ケアプランの作成に関しては、入居者の人生や生活を振り返る必要性を挙げた上で、「家族の希望優先ではなく、入居者の希望を第一に考えたケアプランにしなければならない」と強調。作成したケアプランは、家族だけでなく、入居者に説明し、同意を得ることが必要とした。このほか、ケアプランの修正に当たっては、ケアマネジャーのみで決めるのではなく、家族や友人、介護職員、看護職員、主治医など、多くの関係者の情報を基に、検討する必要があるとしている。

「特定施設を『施設』ではなく、『住まい』や『居宅』としてとらえ」というのは、言いたいことはわかるが、その具体的な内容がこの程度だと、介護保険施設の方から「そのくらいの取り組み、うちだってやっとるわ」と言われそうな。

とはいえ、ちょっとチクっとする部分もないではない。私のところだって、施設側の都合を優先している部分がないと言えるだろうか。
それに、最近ご本人さんのプランへの同意について雑になってきているなと反省。

まあ、うちの場合、特に起床時間が決まっているということはない。早番が来る前から夜勤明けの職員は大忙しだ。
ただ、もっと寝ていたそうな方もいないではないが、ご希望に合わせていたら生活が荒廃していくだけのように思える。端から決め付けてしまうのはもちろん良くないが、それでも自己管理ができる方ばかりではないのも確かだ。

食事の時間は決められているが、希望があればそれに合わせることもできなくはない。しかしどうせなら作り立てを食べてもらいたいとは思う。
また、食事のメニューも、療養上の制限だけでなく個人の趣味嗜好にも合わせている。

入浴時間は、午前は11:00~12:00、午後13:30~15:00ぐらいの間でご希望をお聞きしているが、それ以外でも対応できないことはない。実際、私も夕方に突然「お風呂に入りたい」と言われた方に入ってもらったことがある。ただ、夕食後は夜勤者が各階に1名になってしまうのでさすがに無理だ。
また介護保険施設のように入浴は週2回、ということもない。実際に一日おきに入られる方もいたし、希望があれば毎日でも大丈夫。ただし、そうなると現在のような個浴は無理で、他の方と一緒にお願いします、となってしまうとは思う。

施設側の都合と言われてしまうと、確かにそういう面もないことはない。
だが食事や入浴の時間に関して不満を耳にしたことはないし、共同生活において日課の大まかな時間を定めておくことは、却って自己管理を助ける効果があるのではないかとも思う。
「食事が○時だから、それに合わせて起きて、着替えたり顔を洗ったりして用意しておこう」
「お風呂が○時だから、お茶は少し早めに行って、戻ってお風呂の準備をしておこう」
と入居者さんたちに考えてもらうのだ。
「好きな時間でいいんですよ」と伝えることは、とりわけ認知症高齢者を逆に混乱させかねないし、そもそもそんなことを言われたら、私だってリズムも何もない荒廃した生活になってしまいそうだ。大学時代そうだったように。

特定施設って一般的にはもっと自立されてる方が多いのかな。

いずれにしろ、ここで挙げられているようなことは、特定施設に限らず、全ての介護保険施設および居住系サービスが行っていかなければいけないことだ。
特定施設はもっと他のことでアピールできないものか。

例えば、医療に関する部分について基本報酬に包括されていないこととか。
包括されているのは健康診断や協力医療機関への送迎くらいなのだから、在宅酸素や透析などの方を受け入れることもできるし、看取りだってできる。

また、介護にも包括されていない部分があるので、集団での外出だけではなく、個別の買い物やご家族・ご友人宅への訪問などにも付き添える。

共同生活においてルールを定めることと、自由を奪うこととはイコールではない。
我々が目指していくべきなのはルールのない生活ではなく、自由な生活ではないだろうか。

ところでこのエントリのタイトルはとある曲名に引っかけてあるのだが苦しいし古いしで誰も気がつくまい。ついついまたやってしまった。

俺は自分のため息に微笑み
お前の笑顔を捜している

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