自らが望む場所で

食欲が低下し検査のため入院された方に、癌が見つかった。
肺、肝臓、膵臓に転移しており、余命はもって数ヶ月とのこと。

ここまで進行する間、我々も主治医の先生も何もしていなかったわけではない。先生は「解せない」と言われていたし、まさにそんな衝撃だった。

ご家族さんは、「施設にこれ以上ご迷惑もかけられませんから、このまま病院で……」と言われた。我々としては、迷惑などということは全くない、病院が退院を認めてくれ、24時間対応してくださる先生さえ見つかれば、戻ってきてもらって一向に差し支えない、むしろ歓迎することを伝えた。その結果、ご家族さんも退院に前向きになった。

もちろん、何がなんでも病院よりも自宅や住み慣れた施設の方がいいというわけではない。それを選ぶのはあくまでご本人さんである。
いくら日中は施設に看護師がいて、夜間も呼べば来てくれ、また専門的な知識と経験を持つ訪問看護サービスを入れても、痛みや嘔気などへの対応が即時というわけにはいかないことがある。そうしたことへの安心感では、病院には遥かに及ばない。

その方は入院当日からうちの施設に帰りたがられていた。認知症もあり、告知は受けていない。痛みの訴えはないようだし、帰れるものならそうして欲しい。

しかし今日病院のソーシャルワーカーから電話があり、病院の先生もご本人さんが帰りたいと言っているので何とか退院をと考えてくださっているようだが、現在の病状からは難しいかもしれないとのこと。

わずかな日数でもいいから帰れないものだろうか。

しかし、施設の中では「何でそういう人に戻ってきてもらうのか」と言う職員もいる。

まあ、そうした職員ほど、ターミナルの方に限らず、他の入居者さんたちへの支援もできていないものである。
逆に、ターミナルの方には特に頻繁にご様子を見に行って声をかけ、歌がお好きな方にはお部屋でCDをかけて一緒に歌ったりできる者は、普段からユニークな発想ができる。

たぶん嫌がる者も、面倒とか思っているのではなく、不安なのだろう。そう思いたい。
例えば痰が絡んでいるとき、点滴が止まっているとき、バイタルサインに著変があったとき、どうしたらいいのか。
その不安は誰しも変わらない。新人職員も、私も、看護師であっても。

そんな自分を支えるのは知識であり、思いである。その両方を育てていかなければ、施設ぐるみでのターミナルケアへの取り組みはできないだろう。

地域の方への説明会

うちの法人で新規に特定施設を開設する予定があり、地域の方への説明会を開いた。

私がこういったものに顔を出すのは初めてである。これまでは介護事業部門の責任者と、本社の者のみだった。
内容は、法人の紹介、特定施設の説明、法人内の既存事業所も含めた事業所の特色、建物や設備、そして地域とどのように関わっていくか。
時間は30分程度を予定していたが、最期の質疑応答まで含めて1時間ほどになった。集まってくださったのは、私は緊張のために数えるのをすっかり忘れていたが、20名ちょっとといったところだったか。

私が担当したのは、特定施設の説明と事業所の特色の一部分。当日に突然言われたので、原稿を用意したりする時間はなく……ほぼぶっつけ本番。

どうも性格上、自分たちのしていることを自信を持って語るのは苦手だ。といって謙遜していても仕方がないので、精一杯アピール。
しかし、それが地域の方々の知りたいことだったのかどうかは……分からない。たぶん違うと思う。

一番知りたいのは、介護施設が地域にできることでの変化、メリットとデメリットなのだろう。
こういう仕事をしている立場からは、メリットこそあれ、デメリットになるようなことは何もないと知っているが、一般の方はいろいろと不安に思うことがあるようだ。閑静なところだったのに、車の出入りが増えてしまうのでは、とか。

施設ができることは沢山ある。難しいのは、何ができるかではなく、どうしたら地域から相談したり頼ったりされるようになるのかということ。
それさえ叶えば。

ドーパミンと性衝動

昨日の明け方、夜勤者が男性の入居者さんに胸をわしづかみにされ、反射的に手をはねのけたところ、「次はどこを触って欲しい?」と言われるということがあった。

この入居者さんはパーキンソン病の方で、時々こうした性的な言動がみられる。先日も若い女性職員に「いつになったらやらしてくれるんだ」と言ったとのこと。
パーキンソン病治療薬であるレボドパやドーパミンアゴニストの副作用として、性欲亢進が現れているのだろうか。実際、パーキンソン病の男性の方で、こうした言動をされる方には何人もお会いしてきた。

介助時に手を伸ばして女性職員の体を触るなんていうのはよく聞く話で、私がこれまでにお会いした中にも、女性利用者さんのベッドに潜り込もうとしていたため職員が止めると、「何するんだ! この人だっていいって言ってたんだぞ!」(もちろん事実ではない)と激怒された方や、入浴時に若い女性職員に自らの陰部を必要以上に丁寧に洗わせようとした方などがおられた。

パーキンソン病の方はドーパミンが不足し運動障害が起こる。そのためドーパミンの前駆物質や、ドーパミンと同じ働きをする物質を服用されるのだが、ドーパミンは運動だけでなく他の働きも持っている。快楽もその一つである。
よってこうした性欲亢進状態が現れてしまうのだろうということは、容易に想像がつく。

つまり。
本来であれば、視覚的刺激や身体的接触などによってA10神経からドーパミンが放出され、人は愛や性欲を感じ行動するが、パーキンソン病の方では、外部から取り込んで増やされたドーパミンがそうした作用を生じさせることがあるのだろう。

我々は通常、好みの異性に近づいた程度では性衝動に突き動かされることはない。ドキドキすることはあっても、充分に自制できる。だから突然相手の体に手を伸ばしたりはしない。
しかし、相手から「好き」と言われたり、キスをした後でならどうだろう? ドーパミンが放出されて性衝動が動き出していれば、たとえ急に「嫌」と言われたとしても、体に手を伸ばすのを止められないというのはありうる話だ。
パーキンソン病のために薬でドーパミンを増やしている方は、言葉や接触などが何もない状態で、いきなり性衝動が動き出すのだ。女性に手を伸ばすのを抑えられないのも無理はない。

……なんてことを考えた。

ところで、ドーパミンで思い出したのだが。

統合失調症の陽性症状である妄想や幻覚などはドーパミンの分泌異常が原因という説がある。
パーキンソン病の方も、支離滅裂なことを言われたり、発している言葉が文章にならなかったり、妄想が現れることがあり、これらは統合失調症と共通点がある。
しかし幻覚は少ないし、自我が崩れる(自己と他者の境界があいまいになって、他人の考えが頭の中に入ってくるとか、逆に自分の考えが他の人に伝わってしまうとか感じる)ことはまずない。これらの統合失調症の症状は、ドーパミンの分泌異常とは別の機序で起こるのかもしれない。

アルツハイマー型認知症やパーキンソン病は、脳内の物質の反応という点では、精神疾患と共通するところがある。両者を知ることが、お互いの理解の助けになるのではないだろうか。

メマリー、ついでにロゼレム

うちの入居者さんに初めてメマリーが処方された。

これは昨年6月に発売された認知症の新薬で、ごく簡単に言うと、脳神経細胞が過剰に興奮して破壊されるのを防ぐらしい。中~重度のアルツハイマー型認知症に効くとされている。軽度では投与群と非投与群の間で有意差が認められていないとのことだ。

服用を開始してからの見たところの印象としては、鎮静がかかったような感じ。
これまでは帰ろうと頻繁に玄関に向かわれていたのが、食堂で静かにテレビを眺めていることが増えた気がする。
うちの法人内のグループホームでもメマリーが処方された方がいて、その方も少し元気がなくなったようになっているらしい。

認知症の方の陽性症状を抑制するために薬を使うのは、決して好ましいことではない。その方の欲求を理解し、それを満たす援助をすることで症状を消失させることができないかを考えるのが認知症ケアである。
しかし、神経細胞死を防いでいるのなら……認知症の進行を遅らせるためであれば、行動を抑制していると断じてしまうのもどうかと思う。

もう少し注意しながら見ていこう。
さて、ロゼレムを処方された方について、エントリ「Bed of Roses」の続き。

夜間に眠れない様子で柵をカンカンと叩いていたり、着替え始めたりお部屋から出てきたりといったことはなくなった。20時に内服後、23時近くまでテレビを観たりしていることは時々あるものの、その後はトイレに行くこともなく、朝まで良く眠られているようだ。
だが寝つきという点ではそれほど変わっているようには思えないのだから、薬の効果はあまり感じられないというのが正直なところ。

しかし、大切なのは薬で夜に眠ってもらうことではなく、生活のリズムを作ることだ。
夜に眠りやすくなったとしても、日中は手持ち無沙汰なご様子でベッドに横になられていることが多いのであれば、リズムは作られにくい。その方はレクなども積極的には参加されないので、最近は食堂で陰部清拭用の布を切るなどの作業をしてもらったりしている。

薬に任せきりになったり逆に否定したりするのでなく、ケアの一部として巧く使っていくことが大切なのだと思う。

日本の住宅文化と施設の居室

介護保険施設に今でも多く存在する多床室は、プライバシーのない、好ましくない居住空間なのだろうか。

私は自分が暮らすことを考えたら、個室でなければ嫌だ。だから、生活の場所であるならば個室であることは必要な条件だと思っている。このことは何度か書いてきた。

しかし我が国では、個室というのはそれほど前から普及していたわけではない。施設だけでなく、一般の家庭でも。住宅の造りにプライバシーという考え方が見え始めるのは、いわゆる昭和の家以降である。

ものすごく極端な話をしよう。
世界遺産にもなっている合掌造集落では、かつては一軒の家に20人以上もの家族が暮らしていた。相続は母系制であり、夫による通い婚のような形が取られていた。家族全員が一つの部屋で暮らしており、夫婦の性行為さえ、皆と一緒に大部屋で寝ている妻の布団の中に、通ってきた夫が忍び入って行われていたそうである。
こうなるとプライバシーなど何もない。

繰り返すが、これは非常に極端な例で、現在の高齢者でそういう生活をされていた方はもちろんいないだろう。しかしかつての日本では、家族が同じ部屋で暮らすのは当たり前だった。
小学生の頃から当たり前のように自分だけの部屋を欲しがってきた我々とは、部屋へのこだわりも違うのかもしれない。

とするなら。
高齢者にも個室を、というのは我々若い世代の勝手な決め付けであって、高齢者はむしろ個室では寂しいと思っている可能性もあるのではないだろうか。

しかし、たとえそうだとしても、排泄ケアなどのプライバシーをきちんと守れず、同室の利用者さんを選ぶ(「あの人と一緒がいい」という希望だけでなく、「あの人と一緒は嫌」という希望も叶えられる)ことができないのであれば、やはり多床室というのはなくしていくべきだとは思う。
これはそうたやすいことではない。排泄時にプライベートカーテンで視線を遮るのは当たり前だが、音や匂いまでをも隠すのは難しい。また、高齢者は環境が変わることを好まないしリスクも伴うので、同室者との関係が良くないからといってそう頻繁に居室を移ってもらうわけにもいかない。

今の多床室でプライバシーが保たれる努力をするよりも、おそらく全て個室にする方が早いような気はする。それだけ、多床室の「いいところ」を生かしていくのは難しいのではないか。