わかったような気になる

今日は6ヶ月ぶりの夜勤。
充分に休息を取って備えておくつもりだったのだが、緊張しているのか眠れない。なので、今日の分のエントリを書くことにしよう。

この仕事を始めた当初の我が身を振り返ってみて思うことだが、経験の浅いうちは、認知症について「わかったような気になる」時期がある。

私は最初老健の認知症専門棟に配属になった。何の資格も経験もなかったので、しばらくの間は驚きの連続だった。
しかしやがて、認知症というのはこういうものかとわかった気になり、「この人はどうせすぐ話したことを忘れてしまうし、私のことも覚えてくれているわけがない」などと考えるようになった。
まだ、目の前の方がアルツハイマー型認知症なのか脳血管性認知症なのかもわからなかったというのに。

その態度を改めた最初のきっかけは、とあるアルツハイマー型認知症の女性利用者さんだ。その方は、認知症のため記銘力が低下していて出来事などすぐに忘れられ、スタッフの顔や名前も一切覚えられなかったが、唯一、特定の男性職員のことだけはしっかりと覚えていて「わたる~」と愛情を込めて呼んでいた。
実際は彼の名前は「わたる」ではなく、名札に「石渡」と書かれているのを見たその方が、「いし わたる」というフルネームが書かれていると思い込まれたのだ。それは何度かお話ししても訂正されることはなかったらしい。
客観的に見て、その男性職員が特に優れた接し方をしていたとは思わない。だが、のんびりした人柄なので、その優しさは伝わっていたと思う。それがその方の心に刻まれたのだ。

いずれにしろ、記銘力障害一つとっても単純ではない。しっかりと記憶されることだってあるのだ。

しかし新人職員の話に耳を傾けていると、「あーこいつ、わかった気になってんなー」と思うことがある。その期間は短くとも半年くらい、長い職員では何年勤めてもその状態から抜け出せない。

認知症とひとことで言っても、アルツハイマー型、脳血管性など原因によっていくつかに分けられ、それぞれに特色がある。そしてアルツハイマー型であっても、皆が皆全く同じ経過をたどるわけではないし、記銘力が低下したら何も覚えられなくなるというわけでもない。

認知症は、知れば知るほど分からなくなる。

しかし現在の私が、認知症についてよく「わかっている」わけではないのも確か。私などよりももっと認知症について「心で理解している」人はいくらでもいるし、知識と経験から適切な判断のできる人だって多い。
私もいつかそうなりたいと思う。

本当にその方が「できること」を生かした支援をしていくためには、少なくとも障害の原因とその特徴を知った上で、先入観に囚われず、その人の個性も把握しなければならない。
それは簡単ではない。試行錯誤の連続である。

「わかった気になっている」ようではまだまだ。

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