本当の「住まいとケアの分離」

エントリ「住まいとケアの分離」で、私は大手介護サービス事業者の主張を批判したが。

「住まいとケアの分離」という考え方自体は決して間違っていない。
それどころか、むしろ正しい。我々が向かうべき未来は、明らかにそこにある。

そもそもデンマークだって、それほど厳密に住まいとケアが分離されてはいないのだ。高齢者住宅が持ち出しで提供するインフォーマルなサービスの量は決して少なくはない。某大手介護サービス事業者が自分たちに都合の良いようにこの言葉を捻じ曲げているだけなので、誤解なきよう。

この考え方の重要な点は、「人は住むところによって受けられるサービスの種類や内容、量を制限されるべきではない」というところにある。

最も端的な例を挙げる。
特養や老健に入所していると、在宅酸素や透析、中心静脈栄養などの医療を受けることができず、外部医療機関による専門的なリハビリテーションを受けることができない(これら全てが絶対に不可というわけではないのだが、事情があって困難なため、事実上「できない」と言わざるを得ない)。
また、通所サービスを利用することもできない。自宅にいるときからずっと通い続け、友人も多いので通い続けたいと思っても。訪問ヘルパーも、いくら馴染みがあって信頼関係ができていたとしても、そのヘルパーに援助し続けてもらうことはできない。

これが、住まいとケアが一体化していることの弊害なのだ。
現在の施設は住まいとケアが一体化しているために、施設に入所すると、それまでかかっていた医師や、使っていた介護サービスと縁を切らなければならない。受けられる医療・介護に制限が生まれる。

もし住まいとケアが分離していれば、こうはならない。施設に入っても、主治医を選べ、在宅酸素や透析など必要な医療を受けられる。介護サービス事業者も、ケアマネも自由に選択できる。
もちろんそれまで受けていたサービスにこだわらず、その施設が提供するサービスに切り替えることもOK。認知症の方や、トイレ介助など随時対応の多い方はその方が便利だろう。
これって、すごく良いことではないだろうか?

有料老人ホームも介護保険施設も、共に住まいとケアを分離するべきなのだ。そうして、それぞれの施設は、居住環境の部分のみで差別化を図る。
私は個室であることは生活の場所として必要な条件であると思っているが、多床室に低所得者保護という一面があるのは事実。であれば特養は多床室などによって低所得者の生活を支え、有料老人ホームは経済的に余裕のある者にゆとりのある環境を与える。
だが、医療や介護の部分で差があってはならない。

これが、我が国が目指していくべき高齢者福祉の姿ではないだろうか。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中