曖昧なものが苦手な人々

エントリ「介護の専門性」で、私は
>知識・技術に囚われてしまっている「専門家」が多い
と書いた。

こうした人々の傾向として、「曖昧なものが苦手」ということが挙げられるだろう。
これは、エントリ「文系と理系」で述べた、「理性に優れるタイプ」に当たる。

彼ら(男性に限るというわけではない、もちろん)の特徴を挙げる。

基本的に他人への関心が低く、人の気持ちが分からないので、専門家としてしか被援助者を見ることができない。
よって頭で「ニーズを探る」のは得意だが、心で「共感し了解する」のは苦手。
(注:この「了解」という語は、現象学でいうところのもの、つまり「本質直感」に近い意味で使っています。そのためお読みになっている方には伝わりにくいかと思いますが、他に適当な言葉が思いつかないのでお許しください。)

言語化し論理的に説明できないことは、理解できず、かつ値しないことだと思っているため、議論等においても相手の言葉尻を捉えたがる。「感情に優れるタイプ」が、言語化と論理的思考が苦手で、文章だけを見ると変な言い方をしてしまうのと対象的に。

情報には「ソース」を、方法論には「エビデンス」を求める。この態度はもちろん間違ってはいない。しかし介護が、人間というこの世で最も曖昧なもの、あらゆる自然科学が解明することに躍起になっている存在を対象としている以上、言葉では伝えきれないことが存在するのだ。これはもう仕方のないことなのだが、それが理解できない。

自らの行えるアプローチが、専門的な知識・技術に基づいたものに限るため、それらに劣るスタッフに向ける目は厳しい。非援助者だけでなく、職員に対しても共感はできないのだ。
同時に現在の介護業界では技術として確立できていないもの、つまり「優しさ」「思いやり」と言った曖昧な概念を排斥したがる。

どうです? あなたの職場にも何人かこういう方がいるのではないですか?

私もこのタイプに属します。
ただ、曖昧なものが得意な方に対する嫉妬心を、自分で認めることができているだけの話で。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中