記録していいのは事実だけ?

研修にて。
ワークグループで、私が「うちの施設の記録は、みんな職員や入居者さんが言ったこととかは詳しく書いてくれるんですけど、アセスメント的なことはなかなかねー……」みたいなこと言ったら、周りの人たちに「いや、記録に書いていいのは事実、つまり実際にあったことだけですよ」と言われた。

私が、「看護記録のいわゆるSOAPだって、Aつまりアセスメント書いてますよね?」と言ったら、「その場合は、記録用紙の記載欄を分けて、『ここは事実だけ、ここはそれ以外』って分けないと」とのこと。

それはあなたの会社のルールでは? と思ったが、そのことで議論している時間もなく、話はそれきりに。

もちろん、「事実だけを書け」という言葉は間違ってはいない。ただ、これは「実際にあったことだけを書け」という意味ではなく、「主観を客観のように書いてはならない」という意味だと思っている。

一例。
「今日は一日中機嫌が悪く、15時のお茶の後もすぐに居室に戻ってしまい、その後でトランプに誘っても出て来なかった」
という記録文があったとする。

「一日中機嫌が悪い」というのは、正確には、「記録者が今日会った時には、その人は常に不機嫌そうに見えた」だけであって、他の職員の目にはそうは映っていなかったかもしれないし、その方はその職員に対してだけ怒っていたのかもしれない。つまり記録者の主観なのだ。
また後半も、実際にあったことを書いてはいるが、これだけだと断られた理由が全く分からない。

これが、
「15時のお茶が済むとすぐに居室に戻る。15:30に『〇〇さんがトランプのお相手を探しているんですが、どうです、一緒にやりませんか?』と声をかけたが、『今日はやめとくよ』と言われてしまった。朝から口調がぶっきらぼうだったこともあるし、昨日、〇〇さんに俳句の季語について批判されたことを気にしているのかもしれない」
だったらどうだろうか。

「ぶっきらぼう」という表現は、記録者の主観的な表現ではなく、客観的な描写とみなして良いだろう。
また、「批判されたことを気にしているのかもしれない」は、あくまで記録者の推測であって、実際に起こったことではない。しかし、それはそれと分かるように書かれているし、この記述は推測にすぎないのだから書かない方が良い、と言えるだろうか?
推測は推測と分かるように書いてさえいれば、「記録者がそう推測したという『事実』」とみなし得るのではないか?

というのが私の考え方なわけだが。
もし法令で「記録とはこういうものです」ときちんと定められているなら当然それに従うが、私の知る限りでは存在しない。であれば、記録の本来の目的(サービス提供の証明、情報の共有等)を考えて、そのために役立つものにしたい。

想像するに、記録は実際にあったことしか書いてはいけないと思っている人は、例えば法人内の別事業所などでの実地指導の際に、「主観と客観を曖昧に書かないように」などと指導され、それを(おそらくは)誤解して、とにかく主観は排除しなければならないと考え、それを社内での統一事項としたのではないだろうか。

本末転倒はバカバカしいと思うわけです。何事も。

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