サービスの公平性について改めて考える

先日、認知症緩和ケアとタクティールケアのセミナーに参加したことは一昨日にも書いた。
そこで考えたこと。

(講演の一部の要約)
認知症緩和ケアには、4本の柱として「症状コントロール」「チームワーク」「家族支援」「コミュニケーションと関係」があり、その土台には倫理の4原則、すなわち「無危害」「善行」「公正」「自律尊重」がある。
「公正」は、「公平・平等」であること。「均等・分配」と解釈されることもあるが、それは誤り。今誰よりも援助を必要とする方がいたら、その方を他の方々よりも優先して援助することは、「均等」ではないが、むしろ「公平」なことであるから。

生命倫理に関する原則は、起源としては医師の職業倫理として有名な「ヒポクラテスの誓い」にまで遡る。また内容には国や地域によっても差異があり、この4つが必ずしもワールドスタンダードというわけではないようだ。

今まさに援助が必要な人がいれば、その人に優先して手を差し伸べるというのは間違ってはいない。
だが……

以前のエントリ「援助の公平性」で、私はこう書いた。

理想は、「Aさんは週4回くらい散歩に行っている。なら、特に散歩を希望されているBさんもAさん以上にお散歩に連れて行ってあげる」ことだ。
しかしそれが叶わない事情があるのなら、逆に、Aさんの散歩の回数を制限するのも致し方ないと思う。でないとBさんが可哀想だ。

Aさんへの支援が、一時的ではなく日常的にBさんの犠牲の上に成り立っているのであれば、それはやはり不公平だと思う。そしてうちも含めた多くの事業所では、こうした不公平が珍しくないのではないか。
ましてや、現在の介護保険サービスのほとんどは、厳密に言えば包括報酬みたいなものである(介護度に応じた報酬の区分をしているサービスは、すべからくこう言えると思う)。充分な支援を受けていなくても、利用料は普通に発生してしまう。

「それが叶わない事情がある」というのは、例えば施設が深刻な人手不足の状況にあるなど。
そうした状況であれば、それによる不利益だって入居者さんたちは等しく負うべきではないか。Bさんだけが犠牲となるのはどうなんだろう。
もちろん、そうした状況は一刻も早く打破するように施設全体で取り組んでいかなければならないことは言うまでもないが。

とにかく、Bさんへの支援が足りていないことの言い訳として、「Aさんへの支援で手一杯だから」と言うのは許されないと思う。

別の考え方があるのも承知している。
つまり、「現在Aさんは、目を離せば施設から出て行ってしまうかもしれないし、歩いて転倒してしまうかもしれない。そうした緊急性の高い状況であれば、他の方への支援が犠牲になってもやむを得ない。仮に今後Bさんが現在のAさんと同じような状況になった時に、同じことをしてあげれば良いだけの話だ」というものだ。
おそらくこちらが、現在の介護サービス事業所での標準的な考え方だろう。

これも間違ってはいない。現行の介護保険制度下では。
この視点からは、「Aさんに充分な支援ができないことの言い訳として、Bさんを引き合いに出すのは正しくない」となるだろう。

このジレンマが生じる最大の原因は、介護報酬が、その方が必要としている支援の内容や量によってではなく、介護度によって決められているからである。

介護度に応じた報酬は、公平性の問題を生み出してしまう。
これでいいのだろうか?

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