ボケるが勝ち?

“認知症の人は、おかしな言動をしていても本人にはその自覚はなく、苦労するのは周囲の人間ばかりで、当人は楽なものだ。だからボケた者勝ちだ。”
↑これが全く正しくないことは、介護の仕事をしている人なら当然のこととして実感しているだろう。

認知症の方は苦しんでいるのだ。だからこそ、表現のできない思いを何とか満たそうとして、不適応行動が現れてしまう。
それを身体拘束などによって抑えようとしても、はけ口を失ったエネルギーは別の形で噴出するだけである。そのもどかしい思いを満たしてあげられるのは言葉を中心としたコミュニケーションによってであり、そうして傍らに寄り添うことこそが認知症ケアである。

しかし。
中には、幸せそうな認知症高齢者もいたりする。

うちの施設に入居されている90歳過ぎの女性。
移乗は自立、移動は車椅子を自走。トイレ動作も自立している。夜間はあまり眠れていないようで午前中はベッドから出て来られないことがあるものの、日中はほぼ食堂で過ごされている。
食堂では、テレビを眺めながら鼻歌を歌っていることが多い。テレビの内容は理解されていないが、視覚的に面白いものには反応して笑う。傍らに座ってお話しすると、笑い声を交えながら、何度も同じ話(ご家族さんの自慢話が多い)を繰り返される。
廊下の端まで車椅子を漕いで行き、非常口から外の風景を見ながら鼻歌を唄ったりもされている。

食事は好き嫌いが多く、よくご家族さんが好物のうなぎを買ってきてくださって、それを食事にお付けすると、うなぎとご飯だけは綺麗に食べられる。しかしその他のおかずは残すことが多い。食べてみて気に入らないと、不機嫌そうに「こんなもん人間の食うもんじゃねえ」などと平気で言われるが、すぐに忘れて機嫌も元通り。
口癖は「生きてるうちは地獄だ。長生きはするもんじゃねえ」。入浴時に浴槽を跨ぐ時などは股関節が痛むこともあるようだが、言葉に反して、辛そうなご様子はあまりない。

要はとにかくマイペースで、全く退屈されているご様子もなく、鼻歌混じりで過ごされているのだ。幸せそう、としか言いようがない。

ケアプランの作成は、逆に難しい。
生活の質の向上のための支援は誰に対しても常に必要だが、現時点でマイペースに過ごされているので、趣味的活動や役割獲得、交流などを押しつけるのもなあ……と思う。
身体の安全については、入居当時は移乗・移動に介助を要していたのが、どちらもなるべくご自分でしていただくように支援してきた結果、現在のレベルに回復した(らしい。私が入社した時には既に現在と同じ状況になっていた)ため、時々転倒はあるものの、センサーマット使用等による見守りの徹底は、ご家族さんの希望もあり考えていない。環境の整備と、安全に移乗するために車椅子のブレーキを忘れずにかけ、フットレストもきちんと上げるように繰り返し声をかけていることぐらいだ。援助らしい援助は。
健康状態も安定していて、特に問題はない。
じゃあ家に帰れるのか? と言えば、もともと独居の方でご家族さんとの同居も現実的には無理、お一人で暮らしていくとなると認知症のため危険は大き過ぎる。施設という、車椅子での移動に支障のない環境で、見守りがあればこそ現在のように暮らせるのだ。

どうだろう。こういう方だと、認知症でも幸せだ、と言ってもいいのではないか?
それでもやはり、心の奥では辛さを感じているのだろうか?

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