箱膳

以前の職場で、ショートステイを利用されていた女性の方が、私にしてくださった話。

「箱膳、って知ってる? 箱の中にお茶碗とお箸が入っていて、食べるときにはそれを出して、箱をお膳にして食べるんだよ。
ある家で、お婆さんが食事するときには、他の家族から離れて、独りで箱膳を使って食べさせられていたんだね。こぼしたりして食べ方が汚いから、って言って。
ある日、一家の食事中に孫がこう言った。『おばあちゃんが死んだら、箱膳はどうするの?』って。
それを聞いていた父親は、箱膳を壊して、お婆さんにもみんなと一緒に食べてもらうことにした。どうしてだか分かる?」

社会が高齢者をどうして大切にしようとするか、その答えがたぶんここにある。
お年寄りを大切にする社会を維持しなければ、自分たちが年寄りになったときに、虐げられてしまうからだ。

……というのは、いささかひねくれた見方だろうか。

高度成長期頃までの日本では、人は歳を重ねるごとに、生活に必要な様々な知恵を蓄積していった。畑の作物や漁のこと、冠婚葬祭のこと、家事のこと……若い者が困ったときには、高齢者に尋ねれば、的確な答えを授けてくれた。だからこそ、高齢者は自然に尊敬の対象となった。
しかし現代では、そうした知識が生かされる機会は減っている。もてはやされるのは、古くからの「知恵」ではなく、新しい「情報」である。そこで新たに考え出された、高齢者を大切にしなければいけない理由が、高齢者は今の日本の繁栄を築いてくれた人に他ならないのだから、感謝の気持ちを持ちなさい、というものだ。

しかし、そういうことを聞くたびに少し白々しいと感じてしまう。自分たちが年老いたときのことを心配してるだけなんじゃないの、と。

別にとりたてて高齢者を大切にしよう、という気持ちなど必要ないと思う。高齢者なんて括りがなくても、単に支援が必要な人には、それを行わなければならないだけだ。人としては。

さて。今日は敬老の日。
うちの施設では、特に盛大な敬老会は行っていない。お昼にお寿司をお出しし、おやつの時間にもいつもよりは見栄えのするものをお出しして、入居者さん全員にプレゼントを手渡しするくらいである。
……だったのだが。私は、今日一緒にフロア勤務だった職員から「何かやるってもんでしょ!」と言われ、ギターを持ってきて、皆で歌をうたった。
たったそれだけなのだが、その後、何人かの方に「今日はとっても良かったよ。ありがとうございました」と言っていただいた。

私はお礼を言われるようなことなど何もしていない。
自分から言い出せなかったことを反省するばかりだ。

それと。いつも、ありがとう。

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