認知症とテスト

認知症の診断は、問診と画像診断、そして認知機能のテストを総合して行われる。

「これを行えば完全に認知症をスクリーニングできる」というテストは存在しない。しかし、診断の一助となるのは確かである。
また我々介護従事者にとっても、その方は脳のどういう機能が低下しているのかを知っておくことは、ケアの役に立つはずである(エントリ「操作的認知機能障害」でも少し触れた)。

わが国で最も広く用いられているのは、改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)。
質問によって、見当識、言葉記銘、計算、逆唱、遅延再生、物品記銘、流暢性の各能力を測る。20点以下で認知症の疑いありとされる。
印象としては、年齢が誤差2年まで正答とみなすのはどうなんだろうとか、また点の配分についても少し偏向しているように思える。

また、MMSE(Mini-Mental State Examination)というものがある。、世界で最もポピュラーなものだ。
これも長谷川式とよく似ていて、質問によって、見当識、即時想起、逆唱、遅延再生、物品呼称、文章再生、口頭命令、書字理解、自発書字、図形模写の各能力を測る。これも20点以下で認知症の疑いが強いとされることが多いようだ。
私の(それほど多くはない)経験では、物品呼称(時計を見せて「これは何ですか?」と尋ねるもの)、また書字理解(「目を閉じてください」という文を読んでもらってその通りにしてもらうもの)などは、テストが成立する方であれば、まず正答できないことはない。その点長谷川式の方が無駄のない印象ではある。

FAB(Frontal Assessment Battery at bedside)についても触れておく。日本語では、前頭葉機能検査という。
これは質問に答えてもらうというよりは、課題を与えてそれを遂行してもらうという感じ。認知症高齢者には相当難しい内容だ。概念化、流暢性、行動プログラミング、反応選択(葛藤)、Go/No-Go、環境依存性の各能力を測る。
これはそれほど有名なものではないし、何点だからどう、という基準もはっきりしていない。健常な人だと8歳で満点が取れる、というだけである。
18点満点だが、私の経験の範囲では、ほとんどの要介護高齢者は6~8点のごく狭い範囲に集中する。比較的お若い、脳梗塞後遺症で左片麻痺があるものの認知症は全くない、という方などは15点以上となることが多い。

MMSEとFABは、東北大学の川島教授でおなじみの、くもん学習療法に採り入れられている。そのため学習療法に携わったことのある人にはお馴染みだろうが、それ以外の人には、特にFABはあまり知られていないようだ。
私は以前の職場で学習療法を行っていたことがあるのだが、MMSEとFABの得点は必ずしも比例していなかった。FABは認知症状を広く測るというよりも、前頭葉の機能に特化しているためだろうか。

ところで長谷川式は、聖マリアンナ医科大名誉教授の長谷川和夫氏が1974年に考案したもの。MMSEはアメリカのフォルスタイン夫妻が1975年に考案したもの。つまり長谷川式のほうが1年早いのだが、項目は非常に似通っていて、とても偶然というレベルではない。この2つの関係はどうなっているのだろう? ま、これは単なる好奇心だが(^-^;

さて、もう一つ、Alzheimer’s Disease Assessment Scale(ADAS)というものがある。
もともとは認知症治療薬の効果を臨床試験で評価するため、経過を追っていくために開発されたようだ。実施にはキットが必要で、また習熟することが難しく、これをスムーズに実施するためのタブレット型端末が開発されているくらいだ。介護の現場ではさすがに導入は無理だろう。

実は、私には密かに目論んでいることがある。
認知症高齢者へのロールシャッハ・テストの施行だ。

私は一応、大学時代の2年間、このテストの実施・解釈法を学んでいる。しかしこれは精神医学的なツールなので、医師でも臨床心理士でもない私が使用することに対しては抵抗がある。

ロールシャッハ・テストはもちろん、認知機能を推し測るものではない。
また精神疾患をスクリーニングするものでもなく、性格をみるものでもない。いかなる判断もこれ単体では不可能であり、もちろん私もそのようなことなど考えていない。

その人が自らを取り巻く「世界」をどう見て、どう関わっているかの傾向をみることができれば、認知症の周辺症状と言われるものの奥に潜んでいる、その方の本当の欲求を理解する助けになるのでは……と思うのだ。

だけど、これはちょっと実現は難しいかな(^-^;;

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TIA

要介護高齢者の中には、時々身体が左右のどちらかに大きく傾く方がしばしば見られる。
現在うちの施設に入居されている方でも、お2人いる。

うちお一人(男性)は、意思の疎通は難しいので自覚症状などわからないが、もうお1人(女性)は普通にお話ができるため、「体が傾いているの、自分でわかります?」と伺うと、「何だかそんな感じがするよ」という程度。眩暈などはないようだ。傾いたままで食事をされることもある。

その女性の方は、身体が傾いている時には足に全く力が入らず、立てなくなる。普段、トイレや食堂などで車椅子から移乗する際には、自分の力でしっかりと立てるのだが。こうなるとトイレでは2名で介助させていただくしかない。
もともとその方は、入居されたときには杖で歩かれていたのだが、転倒が続いたため車椅子を使っていただいている。ふらついたり、躓くことで転んでしまうのであれば、職員が脇から支えて歩いていただくこともできるが、一瞬にして下肢に全く力が入らなくなって崩れ落ちるため、いくら職員が支えていても危険ということで、車椅子使用となった。

眩暈がないということは内耳疾患ではなさそう。
また、しばらく歩いてから突然力が抜けたり、離床して時間が経ってから傾いたりするので、起立性低血圧ということもなさそうだ。

ひょっとして、一過性脳虚血発作だろうか。
介護の仕事をしている人には説明不要だろうが、一応。これは脳の一部で一時的に血液が欠乏するもので、意識はしっかりしていることが多く、間もなく症状は軽快する。原因は、
① 小さな血の塊が脳内の血管で詰まりかける
② 首の動脈に狭くなっているところがあり、血圧が急に下がると脳の血流量が低下してしまう
ことで起こる。

症状はいつもほぼ同じだし、この方の場合②かな……と想像している。どういう条件で血流量が低下するのかは分からないが、特定の姿勢をとり続けたり、動作をすることで出現するのではないかと。

①は大きな脳梗塞の前触れであることもあり、約20~30%が数年以内に脳梗塞を発症するとも言われている。そのため、一般的には、すぐに受診するようにと勧められているが……

この方に限らず、ふらつきや手のしびれ、呂律が回らなくなったりといったことが現れ、一過性脳虚血発作や、あるいは脳梗塞でも起こしていたら大変、と脳神経外科を受診していただくことは時々ある。が、CTやMRIで異常がないとなると、特に何の治療も処方もなく帰されてしまうだけだ。

ま、結局……
一過性脳虚血発作だとしても、CTやMRIの結果異常が見つからず、原因が上の①なのか②なのかはっきりしないのでは、先生もどうにもできないのだろう。①だとしても、血栓なのか塞栓なのか、つまり抗凝血剤がいいのか抗血小板剤がいいのかさえ判断できないのではないか。

……と、いつも素人ながらに勝手な推測をしているが、本当のところはもちろんどうなのかわからない。

しかし。
もし私が家族なら、MRAや心エコー、動脈硬化関連の血液検査くらいはやって欲しいと思う。だが、どの病院ともお付き合いを切ってしまうわけにはいかない施設職員としては、言われるがままに連れて帰ってくる他ない。

家族代わりなんて言っても、弱いもんだよね。

さて、本日でブログ始めてからちょうど100日目。1日1エントリをキープしているので、100エントリ達成である。
我ながらよくやってると思うが、この労力をもうちょっと他に向けた方がいいんじゃないかとも思ったりするのだった(^-^;

介護事務

介護事務(ケアクラーク)という資格がある。
実際の求人で、この資格を必要としているものを見たことがない。もっとも、介護サービス事業所での事務の求人自体が少ないのだが……介護・看護・相談職等と違い、離職率がそれほど高くないためだろうか。

試験科目である介護概論や医学一般、社会福祉援助技術、介護保険制度などの勉強は、介護サービス事業所内で働く以上、もちろんしておくに越したことはない。
が、それよりは資質を求められる仕事だとは思う……って、そんなのどの職種でも一緒だけど(^-^;

どんな事業所でも、レセプトなどについての一般的な知識よりも、事業所それぞれの請求業務のやり方を身に付け、ミスなく行い、できれば効率化していくことのほうが重要ではないか。介護保険に関する知識は後からでも自然についてくる。とは言うものの、この辺は周囲の職員次第なので、いい加減な職場だと苦労するものだが……

また、PC操作はある程度はできないと厳しい。
それほど高いレベルが求められているわけではなく、Wordなら見た目の修飾ができて、表や図を挿入できる程度で良いし、ExcelならSumやCountといった基礎的な関数が使え、体裁をそれなりに整えられれば充分。あ、あと組織図やフローチャートぐらいは作れた方がいいか。
いずれにしろ、職場内で「こういう書類作って」と頼まれることはよくあるので、それに応えられないと、自分が辛いかも。

持っていると重宝されるのは、介護保険に関する知識よりも、むしろ会計や労務関係の知識ではないか。それなりに大きな法人であれば、会計事務所や社労士事務所に業務委託していることが多いが、それでも事業所内に精通した人間がいて、委託先とスムーズに調整できれば有難い。
小さな法人だと、詳しい人間がいないために社会保険も満足にかけてもらえていなかったりする。経営者もそれで良しとしているわけではなく、単に手が回っていないのだ。こうした傾向は、介護業界に限った話ではないけれど。

うちの職場は、現在事務員がいない。金銭の出納は管理者と相談員が、請求業務は相談員と私が、物品購入は相談員が主にやっていて、それで特に不自由なく回っている。会計や労務管理は本部で行っているので、事業所単位ではこの程度で済んでしまうのだ。
前の職場でも同じような状況で、事務は管理者である私一人で充分だった。こういう事業所も少なくないだろう。

大規模施設の例を挙げると、私が最初に勤めた老健では、事務職員は3人いた。事務主任(私)と、パートの事務員2名だ。うち1人は主に労務管理と出納を、1人は請求を担当していた。私は入力してもらった実績をチェックしてレセプトを伝送し、1万円以下の小額の購入伺いを決済し、入金・出金伝票をチェックして理事長に報告し、有給の取得数を管理し、ネットワーク管理をし、会計事務所とちょっとしたやり取りをしていた程度。それでも支援相談員との兼務は楽ではなかったが……
ある時、請求担当の職員が辞め、新たに採用することになった。しかしなかなか性格的・能力的に適した人が見つからなかった。そんな時にもう1人の事務員が言った言葉。

「何もできなくてもいいの。明るさと、素直さと、やる気さえあれば……」

新人への指導をしているさなかで、あまりにも実感がこもった言葉だったため、思わず笑ってしまった。
そういうものなんだね。

お客様は神様か

三波春夫が言ったとして有名な、「お客様は神様です」という言葉がある。
もともとの意味はオフィシャルサイトのここをご覧いただくとして、一般的には、「お金を払ってくれる人がいるおかげで商売が成り立つのだから、そのことを感謝し、お客様を崇めるべきである」という意味で使われることが多いようだ。

しかし、こんな考え方が受け入れられるのは日本だけではないだろうか。外国では、店で買い物した客が代金を支払って「Thank you.」と言うのはごく当たり前の光景だ。
日本では、「お客様は神様」なんて妙な威張り方をせずに「お互い様」と考えることが、どうしてできないのだろう。
三波春夫の言葉が誤解されて広まったことも一因かもしれないし、もしかすると、江戸時代の身分制度、いわゆる士農工商では商人が一番身分が低いとされたことも関係あったり……しないか(^-^;;

さて、介護サービス事業者としては、どういう態度であるべきなのだろう。

「代わりにじいさんばあさんの面倒を看てあげてるんだから、感謝されて当然」という態度の事業所はまさかあるまいが、「利用していただいていることへの感謝を忘れず、常に下手に出る」という態度を徹底しているのは、一部の高級有料老人ホームくらいではないか。大抵の事業者は、サービスを提供して対価をいただくことは対等の関係であるとみなしていると思う。

それでいい。
卑屈であること(謙虚であること、ではなく)は、傲慢であることとイコールなのである。
普段必要以上にへりくだっている者ほど、関係性が壊れ得る事態に直面した時には、あっさりと掌を返してしまう。これは人間心理としては当然のことかもしれない。
私の前の職場では、理事長が接遇に厳しかった。また理事長は独創的な発想の持ち主でもあったので、私はそれが気に入って転職したのだが、やがて傲慢さが鼻につくようになってしまった。例えば、流涎があったり、トイレを汚してしまう利用者さん、または認知症状の強い方に対して、「今後はお断りしてください」とスタッフに指示したりするのである。それが私には納得できなかった。心身の問題を理由に強い態度に出ることは、介護サービス提供者としては間違っていると思う。

一方、利用者さんやご家族は、時に理不尽な要求をすることもある。それに対し、できないものはできないと毅然とした態度をとることは、責任を持ってサービスを提供するためにはむしろ必要なことでもある。
しかしそれでも、一旦は相手の主張に自らの心を重ね合わせて、クレーム内容そのものではなく、その背景にあるもの――それは、例えば親を施設に預けていることへの罪悪感だったり、施設への不信感だったりする――に思いを馳せる態度も必要ではないか。

「クレームは宝」とよく言われる。そのことを常に心に留めておきたい。

男性の介護職員

私が講師をしているヘルパー養成校で、受講生から質問を受けた。
「どの先生も、男性の介護士は余ってるから就職は難しい、って言うけどそうなんですか?」

他の講師さんたちはそんなこと言うんだね……6(^▽^;

確かに介護サービス事業所の採用担当者は、男性はある程度の人数は必要だけどそれ以上に増やしたいとは思わない、というところはあるかもしれない。
「ある程度は必要」というのは、力仕事ではやはり男性は頼れること、ちょっとした修繕などができると便利なこと、特にデイでは同性介護が当たり前になっていること等の理由による。
女性の高齢者は、身体介護の場面では同性介助を望む方が確かに多いが、若い男性職員に介助されることをむしろ喜ばれる方もいる。若くも容姿端麗でもない私でさえ、私でなければ入浴してもらえない方がいたりするのだから不思議である。また男性の高齢者でも、同性介助を望まれる方もいる。
もしも私が歳を取ったら、どうせなら若い女の子に(以下略)

「増やしたいとは思わない」というのは、介護職としての適性を女性と比較すると、どうしても劣っていると思わざるを得ないからだ。一つのことに気をとられていると、周りに目がいかなくなりやすく、気づきが悪い、ということになる。かく言う私もそうなのだが(^-^; これはもう脳の性差、ということでしようがないと思う。
それ故熱心に仕事をすればすれほど周りが見えなくなり、結果、周囲からは「もうちょっと周りを見て動いてよ」と反感を買うことになりやすい。

また、女性よりも男性の方が、一つの職場に長く勤める傾向にあるようだ。男性の方が、どうしても収入を第一に考えなければならないことが多いので、現在よりも確実に収入がアップするという保証がない限り、おいそれとは転職できない。その結果、男性の採用枠が小さくなっているというところはあるのかもしれない。「もう男性はいらないよ」、と。

さて。話はちょっと変わるが、以下に年代別の男性介護職員の傾向を書いてみる。

20代: 35歳以上の女性にはちやほやされるが、同世代の同僚にはあまり相手にしてもらえていない人が多い気がする。恋愛対象として見てもらえないのはもちろん。
もちろん同世代の同僚と職場結婚する例はあるのだが……と言うより、この業界で男性介護職員が結婚する場合、職場結婚あるいは職場は違っていても同じ仕事をしている人と、というケースが非常に多い。たぶん、収入が少ないので、それを理解してくれるのは同職の女の子だけ……ということなのではないだろうか(^-^; 業界外に彼女がいてめでたく結婚しました、という例を私は1つも知らない……って、恋愛事情なんてどうでもいいか(^-^;;
経験を積んでも、周囲からはいつまでも半人前扱いということが多い。それに甘んじていれば周囲の女性たちともうまくやっていけるが、上司に気に入られ、主任、ケアマネと着実にステップアップしていくタイプは嫌われやすい。じゃあどうすりゃいいんだと言われそうだけど。

30代:他業種からの転職組でない人は20代と変わらず、言い換えればあまり精神的に成長していない。もちろん仕事には習熟しているが……何だろう、介護業界には長くいても一般常識があまり身についていかないということなのだろうか?
転職組は、それなりに社会経験を積み、それを介護の業界でも上手く生かしていける人がちらほらいる。実際、出世していくのは、20代後半~30代前半頃に他業界から転職してきた人が多かったりするのだ。40代のように余計なプライドが邪魔をして、若い女性職員やパートの中年女性から言われることに耳を傾けられないということもなく、自然に頼られる存在となっていく人が少なくない。

40代:この年齢になると、ほとんど全員が他業種からの転職組となる。転職してきた時に、周囲の女性たちの指導を素直に聞けるかどうかが分かれ道。二十歳そこそこの女の子であっても、職場の先輩であることに変わりはないのだ。
「何もそんな言い方することないだろう」って思えることもよくあるだろうが、そこで気持ち良く「はい」と言えなければ、やがて周囲から「あの人に言うとこっちが嫌な気持ちになるから、もう何も言いたくない」と思われてしまう。そうなれば仕事がしにくいだけでなく、知識や技術も身についていかない。

まあ、何かと肩身の狭い思いをすることはあるし、女性に嫌われたらとてもやっていけないのはどの世代も同じだ。
思えば、私は大学のゼミもほとんど女の子ばかりのところだったし、そういう環境がむしろ合っていたりして(^-^;;