決め付けないことも大事

認知症や身体の障害のため、一人で暮らしていくことはもう無理。といって、家族が一緒に暮らすこともできないので、施設利用を。そうして施設に入られる方がいる。

以前の職場である、住宅型有料老人ホームで会った女性の話。

かつては独居の方で、何ヶ月かの入院生活を送った後、そのまま施設に入所された。その時には、「こんなに綺麗なところに来れて私は幸せです」と喜ばれていた。

しかし、やがて「帰ります」と言われるようになった。

食堂でもお部屋でも、椅子やソファ、ベッドから床に降り、這って玄関に向かう。
最初は、どうして帰りたいのかお聞きして、「お気持ちは分かりますが、お一人で暮らしていくのは無理です」ということを理解していただこうとしたが、「大丈夫」と頑として聞き入れない。その「大丈夫」の根拠も、「ご飯くらい自分で作れます」「買い物は家族に頼みます。自分でも行けます」と、現実味はない。
そのため、お話を聞いているうちに少しずつ話題を変えていって、気を逸らす、という方法を取ることにした。もともと記銘力は低下している。しばらくは、その方法でその場をしのぐことができていた。

ある日。私が日勤で出勤したら、床を這って進むその方の傍らで、早番職員が困り果てていた。朝から「帰ろう」の一点張りで、どうしても気を逸らせないのだと言う。
私は、自分が付いているからいいよ、と早番職員を仕事に戻らせた。「膝に水が溜まっているんですから、這って歩くことは膝に悪いですよ。ちょっと私とお話しましょう」と声をかけたが、「そんなこと言っても騙されない。私は帰るんです」と言い張られるばかり。

これはもう仕方ない。どっちに転ぶか分からないが、やってみよう。
そう思って、私はその方を車に乗せ、その方の自宅へ行った。

鍵はご家族の方が持っているので、家に入ることはできないだろう。それでも、家を外から見るだけでも満足してくれれば……そう思った。しかし家に着き、車椅子で玄関まで行ったところ、その方が言うには、「鍵は家の横手にある植木鉢の下にあるとのこと。果たして、鍵はそこにあった。
こうなったら入ってみよう、と決め、私はケータイでご家族の方に連絡し、家に入る許可をいただいた。

入院してそのまま施設入所となったので、家に帰るのは4、5ヶ月ぶりになるはずだった。電気も水道も止まっている。床はホコリと虫の死骸だらけ。

その方は畳の上に降りたがったので、私は車椅子から降ろしてあげた。周囲の畳の上のホコリを払って。

「灯りをつけてください」と言われたので、私は電灯の紐を引っ張った。当然、点くわけはない。
「電気、止まってますよ」
「電気なんかなくても生きていけるよ」
「食べ物も何にもないですよ」
「あんた、買って来ておくれ」
「私はお金を持ってないんですよ」
「じゃあ〇〇(←ご家族さんの名前)に電話して持ってきてもらうよ」
「電話も止まってますよ」
「お隣にお願いするよ」

そんな話が何度も何度もループしていく。
2時間ほどそうしていただろうか。

やがて、その方は「帰りましょう」と言い出された。

施設へ向かう車の中で、「ありがとう」と言ってくださった。車外の風景を見ながら「若い頃はこの辺りでね……」と思い出話をしてもくれた。聞いていると、いろいろと記憶が混じり合ってしまっているようで辻褄の合わないことも多かったが。

そうして施設に帰った。家に行ったことは忘れて、またすぐに帰りたいと言われるのだろうな、と思っていたら。
その後、帰りたいとは全く言われなくなった。

認知症なのだから、説明してわかってもらえるものではない。説得するのではなくて、そういう気持ちが心を占めないように活動を支援したり、気を逸らしたりする……そういうケアはもちろん間違ってはいない。
だが、端からわからないと決め付けてしまうのではなく、わかってもらう努力が有効なこともある。

そのことを、私はその方から学んだ。

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