援助の公平性

例えば。家に帰りたいという訴えが強く、いつ外に出て行かれるか分からないため、常時の見守りが必要な方がいる。
他の方と一緒にレクなどされている時は良いが、そうでない時にはほぼ付ききりの対応を余儀なくされる。帰ろうと玄関に向かわれた時などに、「じゃあ散歩に行きましょう」と出かけていくのは、もちろんケアとしては大いに良いことだ。
この方をAさんとする。

しかし、一方で、「散歩が好きだから、できるだけ散歩に行きたい」という方がいる。その方は認知症状はあまりないので、一人で出かけようとはしない。
この方をBさんとする。

その結果どうなっているかと言うと。
Aさんは頻繁に散歩に出かけていくが、Bさんは全く散歩に行けない。職員がAさんにかかりっきりになってしまい、Bさんにまで手が回らないからである。

これを不公平だと強く思う私は偏狭だろうか?

理想は、「Aさんは週4回くらい散歩に行っている。なら、特に散歩を希望されているBさんもAさん以上にお散歩に連れて行ってあげる」ことだ。
しかしそれが叶わない事情があるのなら、逆に、Aさんの散歩の回数を制限するのも致し方ないと思う。でないとBさんが可哀想だ。

要介護度はAさんは2、Bさんは1である。なので、そこで料金差が生じていることは確か。施設収入としては1日700円ほどAさんの方が多いのだから、その分のケアの差はあってもいい、という考えもあるだろう。それは当然だ。
しかし、要介護度は必要なケアの量を全く反映していない。逆にAさんよりも介護度が高い方にはそれだけのケアを行っているかというと、全くそんなことはない。

手がかからない方は、放っておいても大丈夫。それでもちゃんとお金はもらえておいしい。
……って、それでいいのか?

どんな方でも、同じサービスを利用している以上、公平に支援を受ける権利があると思う。
だから私は、現場に入ったときには、この方は最近あまり援助してもらっていないな……と思える方を、その日だけ特別扱いして、特にその方に喜んでもらえることをするように心がけている。その方と散歩に行ったり、歌が好きなので歌のレクをしたり、一緒に折り紙をしたり、お部屋に伺ってじっくりとお話を聴いたり。
それでも、何をしてあげたらいいか思いつかない方もいて、自分はまだまだだなあと感じる。

毎日、全員の方に手厚いケアができればいいが、人手の関係でそうもいかない。
であれば、毎日のケアを薄いものにするのではなくて、それぞれの方に何日に一回かのペースで、手厚いケアをしてあげたい。
その方が利用者さんの満足度は高いものとなり、「自分は大事にされている」と思ってもらえることができる。これはデイに勤めている時に分かったこと。

以下は単なる愚痴。

Bさんのケアプランの担当は、私でなく、ケアプランチームのメンバーの1人(つまり介護職員)である。プラン更新作業の度に、私は「ご本人もご家族も散歩を希望されているから、それをプランに入れてね。個別機能訓練計画も、屋外歩行をメインにするから」と依頼し、プランに入れてもらって、ケアカンファレンスの度にそれを話し、日々の記録にもそれを転記している。
にもかかわらず、Bさんを散歩に連れ出すのは私だけだ。担当ですら、全くしようとはしない。
これでは、ケアプランチームなんてやってる意味がない。

この間、一緒にすぐ近くのスーパーまで散歩がてらの買い物に行った。歯磨き粉を買うのが目的だったが、入ってすぐのところに置いてあったバナナに目を留め、「たまにはバナナも食べたいな。買ってみるか」と購入。戻ってからもとても喜ばれていた。「また買い物に行きたいね」と言われていた。

こんな程度のこと、普通にできない方がどうかしてるって!
なんでやらねーの?

(ノ_-;)ハア…

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