認知症のロジックとカウンセリング

「徘徊」と呼ばれる行動がある。
認知症の周辺症状の一つとして挙げられており、特に目的もなく外を出歩き、家に戻って来れなくなったりすることだ。
この「目的もなく」というところが重要で、例えば「畑仕事に行こうと思って家を出たけど、道がわからなくなって、行くことも帰ることもできずに歩き回っていた」というようなものは、徘徊とは言わない。

しかし認知症の方とはいえ、「目的もなく」何かをすることなどあるだろうか。
行動には必ず理由がある。認知症の方にも、その方なりの行動の理由がきちんと存在するが、我々にはそれが伝わりにくいだけのことだ。
純粋にフィジカル(←「メンタル」の逆)な原因の引き起こす行動もあるとは思うが、そういうことは医療の方に任せておけばいい。我々は介護従事者なのだから。

一例。自宅にいても、「家に帰る」と出て行かれてしまう方がいる。
これは一見、「認知症のため自分の家かどうかもわからなくなってしまった」と捉えられがちだが、その行動から、そこに至っている原因を遡ってみよう。

家から出て行く

ここにいたくない。自分には他にいるべき場所がある

ここは自分の居場所ではない。この人たちは家族ではない。ここは私の家ではない

ここは落ち着かない

ここにいる人たちと一緒にいると、いい気持ちがしない

ということはないだろうか。
(出て行く人は全員こう感じている、と言っているわけではないですよ。念のため……)

もちろん実際には、その家に一緒に住んでいるのは本当の家族であり、長年共に暮らしてきた方々である。それでも、例えば以前からの嫁姑問題など抑圧されていたものが認知症という脳の機能低下により噴出したり、家族の不適切な介護によって、このように思い込んでしまう。

この「不適切な介護」とは、ことさら酷い扱いであるとは限らない。
認知症の方は、例えば「おじいちゃん、トイレはもっと近づいてしてって言ってるでしょ。床が汚くなってるじゃないの」などと言われても、その内容を理解して記憶し、次から気をつけよう、とは考えられない。怒られた、腹立たしい、という感情だけが残ってしまう。それが逆に問題行動を強めてしまうのだ。

家族にだって非はない。認知症の知識なんて、まだ全然人口に膾炙してないのだから。それに、我々のように職業として他人を介護している者と違い、家族だからこその感情、そして苦悩がある。
そこで必要なのは、介護サービスや認知症そのものに関する相談だけでなく、家族の心に対するカウンセリングではないか。
以前から、介護の相談に乗るだけでなく、必要に応じてカウンセリングも行えるところがあればいいんじゃないかと思っていた。

社会福祉士の試験勉強(よく知らないのだが介護福祉士もそうかな?)やケアマネの研修では、相談援助技術として、それこそロジャースのクライエント中心療法やアイビイのマイクロ・カウンセリングまで学ばなければならないが、ではそれが現場で活用されているかというと、実践しているところなどほとんどないだろう。

介護相談は地域包括支援センターなどで受けており、そこでの相談の質の高さは保障されている(はず)だが、あくまで相談であって「カウンセリング」ではない。

もちろん一般のカウンセラーのところに行くという手もあるが、彼らには介護に関する知識はないだろうし、また田舎ではカウンセラーなんてどうやって探していいのかもわからないだろう。

カウンセリングのできる相談援助者が必要なのだと思う。

ちなみに私は、大学時代に国分久子先生からカウンセリングを学んでいたが、そのとき「自分には無理だ」と悟ったのだった(^-^;

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