愛とセックスとディメンティア

利用者による職員に対してのセクハラ、というものはよくある。もちろん、認知症がそうさせているのだ。

実のところ、女性職員の胸やお尻に触る男性高齢者は少なくない(私も歳とったらそういう年寄りになる可能性は大いにあるので、大目に見てあげてね(^-^; )。
そうした時、慣れた職員であれば特に騒ぎ立てたりせずに、うまくあしらっている。傍で見ていて、うまいなあと感心することもある。

以前勤めていた老健のショートステイ利用者に、とにかく女性職員に触りまくる方がいて、女性職員が相談員だった私のところへ涙を流しながら「何とかして」と言ってきた。
認知症だから何をしてもいい、ということにはならない。相談員としては施設職員を守らなければならない。業界に入って1年ほどの私はこう考えて、ケアマネに以後のショートの利用をお断りした(これが介護保険で言う「正当な理由によるサービス提供の拒否」に当たるかどうかは、ここでは問題としないでね)。
ケアマネは了承してくれた。が、「利用者の性は、介護の仕事をしている以上避けては通れないことです。介護職員なら、そういう方は嫌です、ではなく、慣れていかなければならないと思います」とも言った。

今では、自分が間違っていたのがよく分かる。
利用者の性について忌避するのではなく向き合い、施設全体で、その方に対してどう接するかを考えるべきだった。利用お断りの前に、できることはたくさんあった。

ところで、うちの施設にも、夜勤中の若い男性職員に色っぽい声を出し「こっちへ来て」とベッドに引っ張り込もうとする女性入居者さんがいる。ちょっと腹が立つのは、私の夜勤中には一切そうした素振りを見せないことだ(^◇^;;

セクハラとまでは行かなくとも、利用者が職員に擬似恋愛感情を抱いてしまうことはよくある。と言うよりも、優れた介護職員であれば異性の利用者を自分に惚れさせて、その感情を日々のケアにうまく利用していくくらいでないとダメだと思う。惚れた弱みで、「あんたの言うことなら聞くよ」と言わせるとかね。

これについては、いわゆるTransference(転移)と絡めて考えると面白そうだ。

私はお年寄りにはモテる方だと自負していたが、最近はすっかり自信喪失。
ま、いずれにしろ、若い女性にさっぱり相手にしてもらえないことの方が寂しい(/_;)

こまめに訪室

施設で働いている方。みなさんの施設ではこういうことはないだろうか。
(このブログを見てくれている同業者は、まだ一人もいないだろうというのは分かっているが……)

利用者さんが、お部屋で一人でいるときに転んだとする。転倒事故なので、第一発見者が事故報告書(アクシデントレポート)を作成。再発予防策の欄に、「こまめに訪室する」と書いてくる。

この「こまめに訪室する」という言葉。私は大嫌いである。

居室はプライベートな空間である。利用者さんは、大して用もなさそうな職員がしょっちゅうやって来たらいい気持ちがするだろうか?

また、そういう対策を立てたとして、職員は本当に訪室機会を多くするのか? 何か対策になりそうなことを書かなくちゃと思って、その場限りのことを適当に言ってるだけじゃないのか?

さらに、仮に訪室を15分に1回するようにしたとしても、動き出してから転ぶには1分もあれば充分。つまり訪室から訪室の間に簡単に転んでしまえる。そんなんで対策と言えるのか?

だが、この理屈はあんまり他の職員には伝わらないらしい。「職員が、○○さんは今お部屋でどうしてるだろう、って意識するようになるだけでもいいことだと思うし、訪室の機会が多くなれば、動き出されている場面に遭遇する確率がたとえわずかでも高くなるんだから、無駄ではない」と言われる。

その言い分は間違ってはいるわけではない。本当に意識されるようになるのか? という疑問はさておき。
私と彼らの相違点は、どの程度の効果が見込めるものを「対策」と認めるかどうかの違いでしかない。

だが私が本当に言いたいのはこういうことだ。

「こまめに訪室する」って書きゃいいと思うな。何をしようとして転んだのかをきちんとアセスメントして、そこから見えた課題に対してアプローチしなきゃ意味ないだろ。想像力・創造力を働かせろ。
状況によっては、何をしようとしてそうなったのが全く不明なこともある。認知症の方に「さっき転んじゃったの」と言われ、詳しく聞こうとしても全くはっきりしないなど……それはもう仕方がない。対策不能、とでも書いて出してもらった方がよっぽどいい。

例えばトイレに行こうとして転んだのなら、排尿のペースをつかんで(もちろん簡単にはいかないこともある。たとえ毎日、正確に同じ時間に一定量の水分を摂取したとしても、トイレに行きたくなる時間は毎日同じとは限らないから)、先回りして「そろそろトイレに行きませんか?」と声をかけることを考えろ。
ベッドから立ち上がってトイレに行くまでの動線に、転びにくくする工夫ができないか考えろ。

だがもし私がそのように言ったら、きっと次から「排尿のペースをつかんで声をかける」と書いてくるだけで、実際に何かが始められることはないだろう。人から言われたことではなく、自発的に出てくることでなければ意味がない。

うちの施設の記録用紙(入居者さん1人につき1日1枚)には、24時間の時系列に沿って、「その方がその時間にやること」が予め書き入れてある。例えば2時のところに「体交(右) パッド交換」など。実施したら○をつければいいわけ。
そこに書いてあることは、皆律儀にやってくれる。が書いてないことは気にも留めない職員は少なくない。
例えばある方の記録用紙には、トイレ誘導が10時、15時のところに書き入れてあったとして、「これではトイレの間隔が5時間も空いてしまうから、昼食前あるいは昼食後にもトイレ誘導しよう」とは考えない職員が少なからずいる。
そんな状態で「排尿のペースをつかむ」???

上のケースで、12時あるいは13時のところにも「トイレ誘導」と予め書き入れておかないのは、12時に「そろそろトイレ行きませんか?」と声をかけてもらって、「まだいいよ」と言われたら無理に連れて行く必要はなく、その場合には13時にまた声をかけるぐらいのことはしてくれ、という意味があるからだが、必ずしもそう考えてはもらえない。
と言って、もしも12時のところに「トイレ誘導」と書いてあったとして、声をかけた時に「まだいいよ」と言われたら、そのまま食後もトイレ誘導せずにお部屋へ、となってしまうだろう。

たぶん、他人が便宜を図れば、人はその分頭を働かせることを止めてしまうのだろう。
意識が変わらなければ、何も変わらない。そして意識を変えるには、同時に自ら行動を始めなければならない。

記憶の神秘と誘導の秘訣

認知症で記銘力障害がある方は、新しいことは全く覚えられないのかと言うと、そんなことはない。(昨日のエントリでも触れたが。)

前の職場でのことだが、「千の風になって」が流行っていた頃、リクエストされてギターを弾きながら利用者さんたちと一緒に歌うことがよくあった。そんな中で、最近のことは全く覚えられず、何度も何度も同じ話を繰り返される方が、いつの間にかその曲のメロディや歌詞を覚えて、一人で鼻歌を歌っていて驚かされたことがある。

今日はそんな話。

うちの施設に、全ての職員に「初めての人にそんなことされたくありません!」と言って介助を拒まれる方がいる。もちろん初めてであるわけはなく、忘れられているのである。それは私に対しても同様だ。
しかし昨年まではそんなことはなく、私のことを「先生」と呼び(音楽の先生、という意味らしい)、ふと顔を合わせた時などにっこりと微笑んでくれていた。

それがいつの間にか、私のことを覚えている素振りを全く見せなくなり、認知症の進行とともに私もすっかり忘れられたんだな、と寂しく思っていた。

先日、その方の入浴介助をした。排泄も入浴も口腔ケアも、あらゆる介助を拒まれる方である。当然、素直に入ってはくれない。
私はそういう時、二択を作り、どちらかを選んでもらってそれに従う、という方法をよく使う。
「お風呂に入りませんか?」と声をかけたのでは、断られるに決まっている。一度断られてしまえば、その後は嫌がるのを強引に入ってもらうことになってしまう。説得などもちろん無駄である。
だが、「お風呂が沸いたので入りましょう。歩いて行きますか? 横着して車椅子で行きますか?」と尋ねると「歩いて行きます」などと答えられる。もし脱衣室までお連れしたところで、「お風呂なんて入りません!」と言われたら、それは聞こえていないふりをして、「さあお風呂に着きましたよ。どうしますか、ご自分で脱ぎますか? それとも私が脱ぐお手伝いをしましょうか?」などと尋ねると「自分でやります」と脱ぎ始めたりするのだ。

このように、こちらにとっては返答はどっちでも良く、結局は同じこと、となるような二択を投げかけるわけだ。もちろん、そこで質問そのものを否定されてしまうことも全くないわけではないが、不思議なことに大抵はうまくいく。

その日もそうして入浴していただいていた。基本が入浴嫌いの方なので、機嫌は決して良くない。いろいろと話しかけたものの、返答はぶっきらぼうだった。
やがて、前日その方の受診に付き添ったことを思い出した私は、「そういえば昨日、一緒に○○内科に行きましたね」と言った。するとその方は怒った声で答えた。

「一緒に行ったのは、立派な眼鏡の先生です! あなたみたいな坊主じゃありません!!」

私が眼鏡をかけていて、現在坊主頭なのは言うまでもないだろう。

私は吹き出し、全身の力が抜けて笑い崩れてしまった。
もちろん普段は、認知症の方の前で、その方が真面目に言われていることを笑うようなことはしない……ように極力努めている。私が何故笑っているのか理解できなくとも、「自分は笑われている」というのは雰囲気として伝わり、その方の自尊心を傷つけてしまうからだ。
だが、この時ばかりは自制できなかった。介助の手を止めて大笑いしてしまった。

その方は「先生」のこと、そして前日一緒に受診に行ったことはしっかり覚えていたのだ。私とは別人として、だが。

いやー、こういうことがあるから介護の仕事は楽しい。

って、この面白さが他人に伝わるかな?

……ということで、「認知症の方でもちゃんと記憶できる」という話でした。

出番だよ、ワトソン君

認知症による、いわゆる問題行動を抑えるためには、その行動を引き起こしているその方なりの欲求を探って、そこにアプローチするというのが王道である。

このように言葉で言うのは簡単だが、欲求、つまりその方が本当に望んでいるのは何なのかを知ることは必ずしも容易ではない。またそれがわかっても、アプローチが難しいことも多い。認知症ケアに関わっている方ならお分かりいただけることと思う。

そこでこのたび私が試論を提出するのは、学習心理学の応用である。

認知症、とくにアルツハイマー型は、ほとんどが物忘れから始まる。古い記憶は保持されているが、最近の記憶が失われやすい。短期記憶障害や記銘力障害と言われるものである。

例えば「家に帰りたい」と玄関から出て行こうとされる方がいるとしよう。こうした方の「魔の刻」は総じて夕方である。そんな時に、「あなたはここに入所しているんですから帰れませんよ」とありのままの事実を突きつける者はいないだろう。それで納得されるくらいなら、最初から帰るなどとは言われない。
「今は雨が降っていますよ。何も今帰って、びしょ濡れになることはないですよ」
「お帰りになるのはもっと遅い時間だと思っていました。だから夜ご飯も用意してあります。せっかくだから食べていってください」
などと声をかける。それでその場は納得されて一旦は食堂に戻られたものの、先ほどの会話をすっかり忘れてすぐにまた玄関へ向かわれる……。

私の経験上、そういう方は、えてして放っておかれ退屈した挙句、頭に浮かんできた「帰ろう」という思念に頭を占拠されてしまうのであり、レクレーションなどをしていれば穏やかに過ごされたりするので、「出て行くのをやめさせる」のではなく、「出て行こうと思われなくなる」ための支援が必要なのだが……そうは言っても人手の問題などから難しいこともあろう。なのでここではそのことは置いておく。

ところで、そうした方は全く何も記憶することができないのかと言うと、そんなことはない。例えば自室やトイレ、玄関の場所などは覚えられていたりする。
覚えられることと覚えられないこと、いったい何が違うというのだろう?

仮説1:言語による記憶は困難だが、非言語的な記憶は可能
人間ならではの、生物としては高次の能力である言語による記憶は苦手だが、言語を伴わない、空間などに関する記憶は比較的容易なのではないか。場所を覚えたりするのは、より原始的な能力であるため、認知症が進行しても、遅くまで保たれるからである。

仮説2:記憶は困難だが、「学習」は可能
覚えるのは困難だが、条件づけはされ得る。つまり、「帰るために玄関に行きたい」⇒「場所は知らないのでとりあえず歩き回る」⇒「玄関らしい場所に着いた」⇒「やった!」となり、この最後のところで感じた喜びが正の強化子(<ごめんなさい、意味は検索してみてください)となって、条件付けが行われ、「家に帰りたい」という内的刺激が「玄関へ向かう」という行動を呼び起こす。

仮説1はひとまずおいておく。これが正しいとしても、それをケアに応用するのは難しいから。
そこで仮説2である。
例えば発現を抑えたい問題行動「玄関から出て行ってしまう」に対しては、

①玄関まで向かっても、そのまま引き返すなどの行動をとった場合、正の強化子となる「報酬」を与える。
この場合の報酬は……まさかおやつをあげる、というわけにもいかないだろうから(^-^; 賞賛、感謝などの言葉をかけるのが適当ではないか。あなたが若い異性なら、手を取ったり抱きしめたりするのもいいかもしれない(^-^;;
しかしこの方法はなかなか難しい。外へ出て行くことはなくなっても、玄関へ向かうという行動はむしろ強化され、頻繁になる可能性がある。「玄関に向かうといいことがある」と、体が覚えてしまうのである。

また、逆に、出て行ったしまった場合に報酬を与えないよう気をつけなければならない。例えば、追いついた後、少しでも気晴らしになればと「それじゃ散歩でもしましょうか」とそのまま近辺を散歩し、その方もそれを楽しんだとする。これ自体、ケアとしては間違っていないどころか、むしろ好ましいことに見える。
しかしこれは学習仮説に照らせば、「玄関から出て行く」ことに対し、「散歩」という報酬を与えることで、玄関から出て行く行動をますます強化していることになってしまう。

②玄関から出て行こうとされた場合、負の強化子となる「罰」を与える
罰……痛み刺激を与えるなどの非人道的なことは問題外なのは言うまでもないし、「嫌な気持ちがする」程度のことであっても、それが心の平穏をかき乱し、問題をさらに悪化させてしまう可能性は少なくないが……
それでも、①に前述したような問題点がある以上、行動を抑制するにはこちらの方向性で考えねばならなそうである。

「出て行こうとすると嫌なことが起こる」となれば良いので、犬が嫌いな方なら玄関先に犬をつないでおくとか……嫌われている職員がいるなら、その者が出て行って「私に会いたくなって来てくれたんですね。嬉しいです!」と声をかけるとか……

これを繰り返していけば、やがて玄関から出て行くという行動は消失するに違いない。

そう。この学習仮説こそ、明日の認知症ケアのスタンダードとなるだろう!

……ってそんなわけあるかい。何考えてんだ<私(^◇^;;

優秀な介護職員

三たび、先日参加した研修での講演を聴きながら考えたこと。

(講演の一部の要約)
専門職としての資質は、資格ではなく技術・知識。資格は仕事をしてくれない。根底に援助理念があっての、相応しい態度や考え方が必要。これらは、性格とは別個のものである。

明るい人=コミュニケーションが取れる人、ではない。明るさだけでなく、適切にコミュニケーションを取れる人であることが大切。性格を変える必要はなく、コミュニケーションを訓練する。人は誰も成長する可能性を持っている。

介護に向く性格、向かない性格というのがあるとしたら、それは「普通の人かどうか」ということに尽きる。人の心の痛みを感じられない人、人の悲しみを理解できない人は「普通」ではない。人の不幸をなんとも感じない人は介護の仕事には向いていない。

「明るい老後」を作り出していくにはどうしたらいいか。笑いがあれば、豊かな暮らしに繋がるかもしれない。心の底から笑顔が沸いてくるような生活支援をしたい。

日々の笑顔は、アトラクション(行事など)ではなく日々の生活でしか作れない。働く我々にも笑顔が必要。他人に不快感を与える言葉や表情には注意しなければならない。
そのために、「他人に対する興味」は武器になるだろう。

当たり前のことを当たり前にしようと考えること、例えば自分だったら恥ずかしくて嫌だと思うようなことを利用者にもしないこと、それが大切である。

全くその通りだなあ、と思って聞いていた。
いるいる、テンション高くて口数は多いんだけど、コミュニケーションが取れない職員(w
……って、笑ってる場合じゃないんだけどね。利用者にとっては大きな問題だから。

ところで私の考える「施設での介護の仕事」の内容の割合(?)は、次のようになる。

身体介護:2.5
コミュニケーション:2.5
レクレーション:3
機能訓練:2

ここで言う機能訓練は、歩行練習などに限らない。例えば移乗時になるべく自分の力で立ってもらうことを意識し、適切な手伝いができるかどうか。そういったことも含む。

レクレーションの比率が3割ってのは高すぎる? いやいや、私は決してそうは思わない。楽しんでもらうことこそ、何より重視されるべきだ。夢中になっていることがあるなら、風呂なんて1週間くらい入らなくてもいいじゃないの。自分なら、そういう生活を送りたい。

さて、身体介護、つまりオムツ交換や更衣などにおいてはやたらと手際がいいが、コミュニケーションは苦手で、レクや機能訓練なんてもってのほか。施設経験が長いとこういう職員に育ちやすい。

介護職員は、デイに勤めると鍛えられる。大勢の前で話をすることができるようになるし、集団や個別で体操、機能訓練をしなきゃならないし、レクもホワイトボード1つさえあれば8割の利用者を夢中にさせられるようになる。入浴はまさに修羅場だ。いかに慌しい雰囲気を出さず、ゆったりと、かつ効率よく大勢の人に入浴してもらうかに心血を注がねばならない。

私がこれまで共に働いてきた介護職員は、優に300人を超えると思う。3日で辞めていった、なんて人も含めての話だが。
その中で私が思う「優秀な介護職員」を挙げていくと、以前勤めていたデイの同僚が次々と思い浮かぶ。現在の同僚は……残念ながらベスト20くらいでは誰も入ってこない。これから伸びる素質があると思っている女の子は2人ばかりいるが。

とは言うものの、私が会った中で最も優秀な介護職員は、1つの老健での経験しかない子である。
「子」と言っても、もうお母さんなんだよな……彼女については、また別のところで触れるかもしれない。